ただ、理念と現実の乖離の程度を法廷で立証することなど土台無理だ。まして自分は安月給なのにNHK職員は高給なのは許せないなどという主張が法廷で通用するはずもないし、あってはならない。
法廷では当然法律論で受信料の是非を判断することになる。放送法は64 条1項で「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」と規定し、同2項で受信料の免除も禁止している。
つまりはNHKが映るテレビを設置したら受信契約締結の義務が発生する、といっている。この条文がある以上、テレビを設置したら受信契約締結の義務が発生するという判断は当然の判断となる。それでも今回裁判所が「裁判所の判決をもって」としたのは、本当にNHKが言う通りテレビが設置されている事実があるのかどうかや、設置されているテレビが壊れていて、意図的にNHKだけ映らない状態にしているのではなく受像設備としての役割を果たさない状態になっている事実がないのかどうかといった、事実認定のプロセスを必要とすると判断したからだろう。
そこで浮かび上がる次なる疑問は、そもそも放送法自体が憲法違反ではないのかという疑問だ。憲法は29条で契約の自由を認めている。だが、憲法29条はその2項で公共の福祉を理由とするなら、契約の自由を制限することが可能だとしている。
「契約の自由は経済的自由に分類され、経済的自由は合理的根拠があれば制限が可能で、『公共の福祉』は合理的根拠となりうる」(憲法学者の渋谷秀樹立教大学大学院法務研究科教授)という。
一般に、表現の自由、つまり豊かな情報環境の確保の見地からすると、多様な放送形態があったほうが、情報内容の多様性や公平性が確保できると考えられている。
国民は娯楽的な番組を追い求めるので、民放だけだと次第に放送内容も低きに流れ、結果的に国民にとって必要な情報が確保されず、政治的にも経済的にも国民生活は劣化する。ゆえにNHKの存立は公共の福祉に寄与するし、その存立基盤確保のために受信契約の締結を強制することは違憲ではない、というわけだ。
NHKは、パソコンやスマホなどで放送が受信できる場合も契約対象だと主張している。どうしても受信料の支払いに納得ができないのであれば、テレビは公共施設や家電量販店の店先で見るようにし、放送の受信が可能な一切の機材を手元に置かないようにするしかない。法に強制力があることも、違憲判断が出る可能性がないことも明らかだ。
だが、合法かつ合憲なら、国民が強制徴収に納得するというわけではないだろう。国民が理念と現実のギャップを疑う限り、NHKは国民から受信料についての理解を得られず、受信料の徴収に多大なコストを割き、それでも徴収率が上がらないというジレンマからは抜け出せないだろう。
(文=伊藤歩/金融ジャーナリスト)