六代目山口組分裂後、それまでの同組への後見を白紙にし、神戸山口組の支持を表明してみせた組織があった。吉村光男組長率いる九代目酒梅組だ。
「神戸山口組の井上邦雄組長と吉村組長とは昵懇の間柄といわれており、分裂後いち早く神戸山口組を支持したのは頷ける話だったようだ。その後も吉村組長の姿は、山健組の関連施設などでたびたび目撃されている」(捜査関係者)
先日、その酒梅組が突如、代替わりを果たしたという。十代目の組長に就いたといわれるのが、九代目体制で若頭を務めていた木下政秀組長。
今から十数年前、筆者は数日間であったが、すでに酒梅組の直参だった木下組長と刑務所への移送待ちとなる大阪拘置所で同じ房になったことがあった。
酒梅組とは、博徒の名門組織で、勾留されていた木下組長の罪名もやはり賭博開帳図利という、賭博を開帳させたものであった。たった数日だったのだが、いまだに筆者の印象に強く残っているのは、その立ち居振る舞いから、人を惹きつける独特な気が発せられていたからだ。
のちに親分となる人は、やはり塀の中での所作もほかの受刑者とは違う。後年、業界内の噂で、木下組長が酒梅組の本部長、そして若頭へと出世していったことを聞くたびに、やはりと感じさせられたものであった。
「すでに木下組長と縁のある他組織には、代替わりの挨拶へも行っているという話もある。歴史ある酒梅組の代紋を今後、木下組長が受け継いでいくことになったようだ」(地元他団体幹部)
そこで注目されているのは、先代となった九代目・吉村組長だ。木下組長へと禅譲した吉村組長は、そのまま引退するのではなく、なんらかの名誉職で神戸山口組へと加入するのではないかというのである。これについて業界関係者ではこのような声が多い。
「酒梅組とは博徒組織として十代続いた名門組織だ。それだけに守っていかなくてはならない伝統がある。吉村組長がそれを木下組長に託したということは、自身は神戸山口組入りを決断したのではないか。独立組織のトップが神戸山口組に加入すれば、否が応でも組織内の士気が上がるだろう」
任侠山口組に生まれた「若中」の意味
一方、任侠山口組でも新たな組織改革が行われ、幹部というポストが新設されている。幹部に就いたのは6名。委員長や秘書という役職を充てがわれている者もいる。
二代目志闘会・前田貴光会長 (代表秘書)
二代目柏田組・佐藤栄城組長(慶弔委員長)
奥州会・大島毅士 会長 (風紀委員長)
張本組・張本勝 組長(渉外委員長)
誠連合・上杉正義会長(幹部)
三代目勢道会・拝藤眞冶会長(幹部)
「このほか、幹部以下の直参組長は、慶弔や風紀といった各委員を務めるものたちはいるものの、基本的には六代目山口組や神戸山口組と同様に『若中』になるとの話です。また、傘下組織からなる親睦会の構成などにも変化があったと話す関係者もいます」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)
若中とは、親子盃を交わした関係でいう子分のこと。任侠山口組は結成以来、組長をトップとし、盃を交わした二次団体(直参)、三次団体と続く、ピラミッド型のヤクザ組織の運営に一線を画してきた。あくまで水平型の組織として各組長に役職を割り振り、その中で選ばれたものが代表として組織のトップとなっているというたてつけだったのだ。だが、今回の幹部や若中といったポジションの設定からも見える通り、昨今は上下関係を明確にする組織へと変わりつつある。その狙いとはなんなのか? 任侠山口組からの離脱者が増えているといわれることと関係あるのか? 山口組分裂騒動の行方にもかかわってくるかもしれない。
(文=沖田臥竜/作家)