かつては政治を動かした報道協会傘下の研究機関に、大手新聞社の“島流し”が横行
吉須はパソコンの操作を終え、郵便物を取り上げ、開封した。“差出人不明の手紙”である。深井の心はときめいたが、平静を装い、会話を続けた。
「世界一周旅行から帰って、すぐに関西方面に行っていたんですか」
「なんで知っている? そうなんだよ。関西に出かける前に、ここに立ち寄った。その時、舞ちゃんが帰るところで、少し彼女の井戸端会議の相手をした。その時しゃべったかな」
「そうですよ。彼女、吉須さんが関西に行ったの、知っていましたから」
「彼女に話したんだな。それはともかく、あの日は彼女が帰った後に日本にいなかった3カ月半のメールはチェックしたし、郵便物も見ている。今日は時間かからないさ」
「ソファーでテレビでも見て待っていますから。ゆっくりやってください」
深井はパソコンの電源を切ると、ブースを離れた。ソファーに移り、テレビをつけた。
新聞社の編集局や記者クラブではテレビはつけっぱなしだが、よほど大事件が勃発しない限り、消音している。二人ともそれに慣れている。映像は午後6時のニュースが始まったところだった。これといったニュースはなかったが、深井はぼんやり眺めていた。
「よし、終わったぞ。出かけよう」
ジャンパー姿の吉須はショルダーバッグを下げ、応接セットの手前で声を掛けた。
「ちょっと待ってくださいよ。僕も手提げ鞄と半コートがありますから」
深井はテレビの電源を切ると、自分のブースに戻り、手提げ鞄を取った。その時、ちらっと、吉須のブースをみると、机の上に件(くだん)の封書はなかった。そして、ハンガーラックから半コートを取って羽織ると、ドアで待っていた吉須に続いて資料室を出た。
●旅行の土産話が止まらない吉須
吉須と深井の二人が向かったのは人形町だった。「日本の牛肉を食べたい」という吉須のたっての希望で、深井がなん度か行ったことのある肉鍋屋に向かったのだ。
深井の狙いは吉須宛ての“手紙”にどんなことが書かれているのか、知ることに尽きた。しかし、そんな下心が見え見えでは吉須が機嫌を損ねて、途中で席を立ってしまうかもしれない。「急いては事をし損じる」と思い、吉須が自分の方から話し出すのを待つことにした。
とにかく、話題には事欠かない。南半球の世界一周旅行、関西旅行……。水を向けると、案の定、吉須は堰を切ったようにとうとうと語り出した。肉鍋屋に向かう地下鉄の中から始まって、肉鍋屋でも牛鍋に舌鼓を打ちながら、話し続けた。さながら、吉須の独演会だった。
「牛肉は南米が本場じゃないですか」と合の手を入れると、ブラジルの「シュハスコ」という牛肉料理の説明を始める。部位ごとに牛肉を鉄串に刺して岩塩をふって、炭火で焼く料理で、カウボーイ姿のボーイが串ごと客席に運び、目の前で食べたい量を切り分けてくれるらしい。しかし、うまいところもあるが、全部を焼くので、固いところもあるし、量も半端じゃない。しかも、味は雑駁で、やはり牛肉は日本が一番だというのだ。
訪れたのは、アフリカでは喜望峰、ビクトリアの滝、南米ではイグアスの滝、ウユニ塩湖、クスコ、マチュピチュ、南太平洋ではイースター島、タヒチ、南極も3日間航海したという。そして、吉須はイグアスの滝だけは一生のうちに一度は行くべきだ、と勧めた。
黙っていれば、吉須は世界一周旅行の体験談を1時間でも2時間でも話し続けそうな気配だった。南極航海の話に差し掛かった時、2皿目の牛鍋が運ばれ、話が途切れた。深井はシメシメと思い、南極航海の話は次の機会に聞くことにして、関西旅行に話題を変えた。
しかし、深井の思惑は外れ、吉須は今度も奔流のごとく喋った。なんでも、世界一周旅行で一緒だった関西在住の老人から招かれたのだそうで、関西に勤務したことのない吉須にとっては、よほど新鮮だったんだろう。
山口組の総本部を見に行き、写真を撮ろうとしたら、監視中の若い衆が飛び出してきた話、そして、昔の遊郭さながらの飛田新地を見て回った話……。特に、通天閣のすぐ近所にある飛田新地にはタイムスリップしたような驚きを感じたようで、立ち並ぶ2階建ての同じ造りの建物の様子を身振り手振りを交えて説明した。
どの建物も、ライトで照らし出された3畳ほどの上り口のような部屋が、通りに向かって開けっ放しになっている。その中央に笑顔で媚を売る若い女が座椅子に座っていて、その脇でやり手婆が「お兄さん、寄ってらっしゃい」って声を掛ける――。
深井は吉須との会話があらぬ方向に流れて行くのに戸惑っていた。「実は」と言って、“手紙”の話を持ち出すのは無理だった。深井は腹をくくり、ここは会話の流れに任せ、もう一軒、別の店に行き、そこで、切り出そうと思い始めていた。
(文=大塚将司/作家・経済評論家)
【ご参考:第1部のあらすじ】業界第1位の大都新聞社は、ネット化を推進したことがあだとなり、紙媒体の発行部数が激減し、部数トップの座から滑り落ちかねない状況に陥った。そこで同社社長の松野弥介は、日頃から何かと世話をしている業界第3位の日亜新聞社社長・村尾倫郎に合併を持ちかけ、基本合意した。二人は両社の取締役編集局長、北川常夫(大都)、小山成雄(日亜)に詳細を詰めさせ、発表する段取りを決めた。1年後には断トツの部数トップの巨大新聞社が誕生するのは間違いないところになったわけだが、唯一の気がかり材料は“業界のドン”、太郎丸嘉一が君臨する業界第2位の国民新聞社の反撃だった。合併を目論む大都、日亜両社はジャーナリズムとは無縁な、堕落しきった連中が経営も編集も牛耳っており、御多分に洩れず、松野、村尾、北川、小山の4人ともスキャンダルを抱え、脛に傷持つ身だった。その秘密に一抹の不安があった。
※本文はフィクションです。実在する人物名、社名とは一切関係ありません。
※次回は、来週8月16日(金)掲載予定です。