そんな中、盛り上がっているのが「夏ばっぱ死亡説」というストーリー予想だ。宮本信子演じる「夏ばっぱ」が東京編からナレーションを外れたことや、劇中に登場する歌『潮騒のメモリー』に「三途の川のマーメイド」という歌詞が出てくることから、「夏ばっぱは死んじゃうのでは?」というのだ。
この“死亡予測”、最初はネットが中心だったが、最近は週刊誌もこぞって取り上げ始めた。特に熱心なのが「週刊ポスト」(小学館)で、6月28日号を皮切りに毎週のように記事を掲載している。
例えば、7月5日号ではメディア論が専門の大学教授までが登場して、「寂しいですが、夏ばっぱ(宮本信子)は亡くなってしまうでしょう」と明言したかと思えば、翌12日号では「津波にのまれた夏ばっぱを夫の忠兵衛がマグロ漁船で救出」という、あぜんとするような視聴者の声をピックアップ。そして、8月2日号では、「春子役の小泉今日子がロケにきていない」という情報をもとに「この『春子不在情報』が意味するのはまさか……」と、春子が震災で亡くなることを推測し、記事にしているのだ。
フィクション作品で作中人物の死亡予想が行われることは珍しい話ではない。「死亡フラグ」という言葉があるように、ドラマはもちろん映画やマンガ、小説では「これは死ぬ前兆かも」と推測して楽しむ人も多いはずだ。
だが、こと『あまちゃん』に関しては、ちょっと話が違うのではないだろうか。というのも、『あまちゃん』はドラマとはいえ、実在する東日本大震災の被災地が舞台になっており、こうした死亡予測もこの先、ドラマで震災が描かれることを前提にしているからだ。
たしかに、脚本家の宮藤官九郎自身も8月7日発売の「週刊文春」(文藝春秋/8月15・22日号)のインタビューで「東北を舞台にしている以上、震災のことは書かないわけにはいかない」と語っている。だが、作家がドラマを通じて震災に向き合おうとすることと、震災で誰が死ぬかを競馬予想のように愉しむ行為とはまったく違う。
実際、『あまちゃん』の舞台のモデルになっている久慈市は比較的被害が少なかったとはいえ、それでも2名の死者と2名の行方不明者、10名の負傷者を出しているのだ。被災者の遺族がこういう記事を目にしたとき、どんな気持ちになるのか想像したことがあるのだろうか。東日本大震災の際、「神田うのが阪神大震災の死亡者数を賭けていた」という噂が出回ったが、「週刊ポスト」はそれと同じようなことをやっているというのは言い過ぎだろうか?
宮藤は先の「文春」インタビューで最終回について聞かれて、こうも語っている。
「予想していた結果とちがうからって、怒らないでほしいです(笑)。僕にもすごく葛藤はありました。納得してもらえる自信はあるんですけど……」
宮城県出身で実家が被災したというだけでなく、取材で被災地にも足を運んでいる宮藤が震災とどう向き合うのか、今は黙って見守ろうではないか。
(文=本田 彩)