日本の高度経済成長のシンボルとして、ある種神格化されたイベントとして語られてきた1964年東京オリンピック(以下、64年東京五輪)。しかし、その内実とはどのようなものだったのか? 当時の選手ら12人を取材した『アフター1964東京オリンピック』(小社刊)の著者・カルロス矢吹氏に、64年東京五輪期以降のスポーツ界、およびいよいよ来年に迫った2020年東京五輪について話を聞いた。
ーー『アフター1964東京オリンピック』は、「サイゾー」誌上での連載をまとめたものですが、あらためて64年東京五輪出場者たちを取材しようと思った理由を聞かせてください。
きっかけは、2016年春の旭日単光章を獲った水泳飛込の有光洋右さんの経歴を偶然ラジオで耳にしたことでした。興味を持ってあとで調べたら、64年東京五輪に出場していた他の選手たちのエピソードもすごく面白くて。メダルを獲った選手でさえ、あまり知られていない話がたくさんあった。皆さんご高齢なので、話を聞けるうちに聞いておかないと……という気持ちもありました。
打率50%くらいです。20人ちょっとに連絡して、受けてくれたのが本に載っている方たちというのが正直なところです。でも今にして思うと、たまたまですが、馬場馬術の井上喜久子さんに連載2回目でお話を聞けたのは運が良かったです(書籍での掲載は7番目。取材後、故人に)。「井上さんが取材を受けたのなら、私も受けます」と言ってくれた人が何人もいたんですよ。井上さんが受けてくださったことで、変な話ではないだろうと安心してもらえたのでしょう。井上さんが五輪の日本人女性最高齢出場記録保持者だったことも関係しているかもしれません。
ーーちなみに、断られた理由で多かったのは?
第3位が「もう放っておいてくれ」パターン。第2位が媒体NGですね。「女の裸が載ってるじゃないか!」みたいな(笑)。
ーー「女性の水着写真=エロ本」と思われてしまったわけですね。
そして、第1位が病気です。
ーー話せる状態じゃない、と。
はい。とてもじゃないが取材は受けられない、と。あと、取材したものの、あとで「載せないでくれ」と言われた幻の回も存在します。いいお話を聞けていただけに残念でしたが、こればかりは仕方ありません。
ーー取材されている12人のうち、映画監督の山本晋也さんだけが異色ですね。
山本監督は当時、市川崑が総監督を務めた東京五輪の記録映画『東京オリンピック』(1965年)の撮影スタッフをしていました。確かに、選手じゃないのは山本さんだけですね。でも、本当は選手以外にももっと話を聞きたかったんです。例えば、ユニフォームについての話もしたかったのですが、自分よりもっと専門に五輪ユニフォームを研究されている方が既にいらっしゃったので、代わりに後日「サイゾー」2019年2月号誌上で、64年東京五輪のユニフォームをテーマに対談をさせてもらいました。服飾史家の安城寿子さんという方です。そこでは、当時メンズファッション界を席巻していたブランド「VAN」の石津謙介さんが日本選手のユニフォームをデザインした、という定説を真っ向から否定しています。(※リンク:https://www.premiumcyzo.com/modules/member/2019/01/post_9055)
明暗が分かれたオリンピック“後”の日本スポーツ界
ーー矢吹さんにとって、「オリンピック」はどういう存在でしたか?
いやー、正直それほど興味なかったんですよ。だから、この本の取材を受けたときに「2020年東京五輪をどう思いますか?」的な質問をいただくと困ってしまって(苦笑)。私が取材させてもらった人たちが見て、恥ずかしくならないような大会にしてほしいな、とは思いますけれども。
そもそも僕はオリンピックに対して微妙な気持ちを抱いてきました。例えば以前、レスリングがオリンピックからなくなるという話になって、その界隈が「これはヤバイんじゃないか」とあたふたしたことがあったじゃないですか。でもこれが、仮にサッカーだったとしたら、オリンピックサイドに「外します」と言われても、FIFAもUEFAも「あ、そうですか。どうぞ」という反応になると思うんです。もちろん無傷ではないかもしれないけれど、致命傷は負わない。その競技の管理団体が管轄している世界選手権が基本的には一番レベルが高くて、権威があるものであるべきだと僕は思うので、その意味では、本来は後者の態度こそが正しい。
ーー前者には、サッカーにおけるワールドカップのようなビジネス面においても国際的な規模の大会がほかにないため、オリンピックに依存する形になってしまうわけですね。マイナースポーツであるがゆえに、オリンピックにそのスポーツの存続がかかってしまう、と。
はい。でも、オリンピック委員会の上層部って、別にその競技の専門家じゃないんですよ。レスリングのことなんかよく知らない人が決定権を持っている。そんな人に自分たちの運命を預けてしまうこと自体、そもそも不健康で良くないことだと思っています。もちろん理想論なことは承知の上ですけどね。
ーーメジャースポーツとマイナースポーツとの格差も、本書の重要なテーマですよね。それから面白かったのが、これだけ戦後復興のシンボルとして神格化されたイベントである64年東京五輪も、その経験者たちの中で見事に賛否が分かれていたことです。
そうですね。本当にさまざまな意見があって、本書でわりあい上手くやってきたと書いているサッカー界においても賛否両論です。64年東京五輪でベスト8に入って、68年メキシコシティーオリンピックで銅メダルを獲得したわけですが、その後「サッカー冬の時代」と呼ばれた時期があり、原因を64年東京五輪に見る向きも存在します。それを払拭するためにJリーグやワールドカップがあった、という解釈ですね。でも、サッカー界は、64年東京オリンピック期にデットマール・クラマーという外国人コーチを招き、「強いチーム同士が戦うリーグ戦をしなければ日本の強化につながらない」という教えに従い、その後「日本サッカーリーグ」を創設しました。一方、フェンシングといった競技も同じく海外からコーチを招き、似たような教えを受けたにもかかわらず、東京五輪の後は、何もやってないんですよね。
ーー飛び込みの馬淵かの子さんが、まさにその点について指摘されていましたね。“東京五輪さえよければ”と、水泳飛び込み界はあとにつながることをしてこなかった。そのせいで一気にレベルが下がってしまった、と。はっきりと「東京五輪は失敗だったと思っています」と明言されていたのが印象的でした。
あとにつなげられなかったーー失敗パターンの最たるものは、それでしょうね。例えば、陸上十種競技の鈴木章介さんは、オリンピック後に読売巨人軍のトレーニングコーチに大抜擢され、伝説の日本シリーズ9連覇(65〜73年)に大きく貢献しました。これはすごく名誉な話なわけですが、見方を変えれば、陸上界はせっかくお金出して育てた鈴木さんをコーチとして残せず、球界にかっさらわれてしまったとも言える。もっとも聞いたところによると、陸上界は反対したものの、読売が力でねじ伏せたみたいな形だったようですが。
東京五輪は、メディアやスポンサーによって神格化された
ーー取材した元選手たちに、何か共通点などはありましたか。
取材前は、「いかに俺はすごかったか」という自慢話に終始してしまったらどうしよう、という不安が少しありました。でも、それは完全に杞憂でした。当時の新聞記事や競技の成績などを見せると、むしろみんな決まって下方修正してくるんですよね(笑)。褒めている記事を見せても「いや、こんなことはなかったな」「もっとしょうもなかったよ」などと否定される場面が多々ありました。話を盛ってくるのではなく、逆に新聞や雑誌の記者が盛っていたのを訂正するようなお話だったので、これは信頼できるなと思いました。きっと選手の方が冷静で、まわりにいた人たちの方が、この祭典に過剰に思い入れを抱いてしまっていたのではないでしょうか。
ーー64年東京五輪が、そうした外圧によって神話化されていくプロセスがよく分かりました。近年の「日本すごい」を連呼するバラエティ番組とかとも類似を感じます。
64年東京五輪に関しては、世間の言説と現実との間にズレがあると感じていました。そこをきちんと確認してみたかったのも執筆の動機の一つです。
ーー『アフター1964東京オリンピック』を読んでいると、今も昔も、オリンピックというものの構造自体は、さほど変わっていないようにも感じられます。競技やその選手よりも、“オリンピックをやること”の方にウェイトが置かれているように見えるのは、64年も20年も同様ですよね。
まったく一緒だと思います。ゆえに来年の東京オリンピックも、64年とほぼほぼ同じ道を歩むのではないでしょうか。それは世論の動きも同様です。64年東京五輪開催前後の新聞を見てみると、63年は無風状態ですし、64年の1月くらいまでは概ねオリンピックに対して否定的な論調が目立ちます。それが開催直前になると、急にワッショイワッショイ状態になる。『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』(講談社現代文庫)という、石原慎太郎や三島由紀夫など当時の文化人がオリンピックについてどう書いたかをまとめた本があるのですが、やっぱりみんな始まる前は「これで東京は壊れる」みたいなこと書いてるんですよね。でも、いざ始まると「意外とオリンピックとは良きものだ」みたいなこと書き出す。「なんだよ、言ってること完全に変わってるじゃないか!」みたいな(笑)。
ーーじゃあ現在、20年東京五輪はぜんぜん盛り上がってませんが……
絶対、直前になったら急にワッショイワッショイ始まりますよ。今「オリンピック反対!」と言っている人も、いきなりツイッターとかで「感動した」「泣いた」とか書き出すのでは。世間の手のひら返しを見るのが今から楽しみでなりません(笑)。
20年東京五輪について文句を言っている人たちの多くが、「64年は意味があったけど、20年のは意味がない」みたいな論調なんですよね。でも僕が言いたいのは、64年だってそんなに意味なかったじゃん、ということです。現に「失敗だった」と断言している選手も少なくない。64年東京五輪は、ある面では成功し、ある面では失敗した、それが実態でしょう。時間と共に過剰に美化され、そのイメージが一人歩きしているだけではないでしょうか。そのことを踏まえ、現実をきちんと見れば、20年東京五輪に向けてやれることはまだまだ残っているように思えます。
『アフター1964東京オリンピック』 1964年東京五輪は、今ぼくたちが思っているような“美しい”大会だったのか? 出場したオリンピアンが語る、東京オリンピック裏面史と2020年大会への提言。引退後に読売巨人のコーチになった十種競技の選手、本田圭佑の大叔父に当たるカヌー選手、車椅子バスケの選手や市川崑による五輪ドキュメンタリーに参加した映画監督まで! 異色の五輪ルポルタージュ。