作家で元衆議院議員、元東京都知事の石原慎太郎さんが死去した。享年89歳。石原さんは近年、脳梗塞やすい臓がんを患っていた。
石原さんと親交があった出版業界関係者はいう。
「石原さんは公けの場でも歯に衣を着せぬ発言や、名指しで人や組織を容赦なく批判するような言動も目立ち、加えて家では超亭主関白であることを隠そうとしなかったことから、世間では“偉そう”“男尊女卑”というイメージが強い。素顔の石原さんはその正反対で、とにかく繊細で気配りのできる人だった。公の場での不遜とも受け取られかねない言動や態度は、そうした素の自分を見せないために“あえて演じていた”パフォーマンスではないかと感じていた。繊細過ぎて、本来は政治家に向いているようなタイプではない。
また、とにかく健康に気を遣う人で、ウォーキングや体操を欠かさずに行い、体の不調があるとすぐに懇意にしている医師などに相談していた。毎日多くのサプリや錠剤を飲んだり、健康に良いと聞いた生姜入りの紅茶を持ち歩いて飲んでいた」
別の出版業界関係者はいう。
「一時期は毎日のように電話をかけて“女を紹介しろ”などと冗談を言い合うほど親交が深かった落語家の立川談志さんから、“関節が痛い”と聞いた石原さんが、よく効くと評判の除霊師のような人のところに談志さんを連れて行き、“談志! よく効いただろ!”と言ったというエピソードを、談志さんはしばしば嬉しそうに高座で話していた。
もう何十年も前の話だが、私の知人が、石原さんと共通の知り合いを介して石原さんを紹介され、ある駅で待ち合わせをしていたところ、約束の時間の10分前にもかかわらず石原さん本人が改札口の前で立っていて、会うと深々と頭を下げて“石原慎太郎です”と挨拶してくれたと聞いた。
こうした丁寧な態度は誰に対しても同じで、レストランで石原さんが誰かと食事中、たまたまその同席者が知り合いと出くわして言葉を交わしたところ、石原さんは自分の二回り以上も年下のその相手に対し、わざわざ立って深々とおじぎをして挨拶したという話を聞いたことがある。
テレビや政治の場などで見せるマッチョな姿と、私生活での素顔には、かなりのギャップがある人だった」
石原さんに関するこうしたエピソードは事欠かないという。
「角川書店時代から石原さんの担当編集者だった見城徹さんが、角川を辞めて現在の幻冬舎を立ち上げた頃、ある日、石原さんがふらっと見城さんの会社に姿を見せ、おもむろに石原さんが“何か俺にできることはないか?”と言い、見城さんが“弟(=俳優の石原裕次郎)さんについて書いてくれませんか”と言い、そこから大ベストセラー小説『弟』が生まれたという話はあまりに有名」(同)
政治家と作家という2つの顔で偉大な功績を残した石原慎太郎さんのご冥福をお祈りしたい。
石原さんの経歴
石原さんは一橋大学在学中の1955年、小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞し、ベストセラー作家として活躍していたが、68年に参議院議員に初当選し、衆議院議員に転じた後は環境庁長官、運輸大臣などを歴任。95年に議員辞職すると、99年に東京都知事選に立候補して当選。12年に都知事を辞任するまで4期13年を務め、五輪招致や築地市場の豊洲への移転などに注力した。12年には橋下徹・元大阪市長と日本維新の会を結成し、衆院選に出馬して当選したが、翌13年には軽い脳梗塞で入院。14年には政界を引退していた。
政治家としては中国への厳しいスタンスでも知られ、都知事時代の12年には中国が領有を主張する沖縄県・尖閣諸島(中国名=釣魚島)を購入する意向を表明し、中国側が反発。羽宇一郎駐中国大使(当時)の乗った公用車が現地で襲撃される事件や反日デモが起こるなど、外交問題に発展した。
(文=編集部)