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江川紹子の「事件ウオッチ」第197回

【江川紹子の提言】警察によるDNA型“無秩序採取”を問う…個人データ利用の法整備を

文=江川紹子/ジャーナリスト
警察庁が入居する中央合同庁舎第2号館
警察は積極的にDNA型の採取・保管を推奨しているが、法整備の遅れにより、長らく不透明な運用が続いている。写真は、警察庁が入居する中央合同庁舎第2号館(写真:アフロ)

 無罪判決が確定した男性の顔写真や指紋、DNA型を警察庁のデータベースから削除するよう命じた名古屋地裁の判決を不服として、国が控訴した。捜査段階で警察が集めたDNA型などの個人データは、不起訴や無罪の場合にどうするかなどを定めた明文化された規定がなく、警察の判断に委ねられている。国は、高度な個人情報の扱いを、ルールも決めないまま、いつまで警察任せにするのだろうか。

裁判所が断じた警察内部の「脆弱な規定」

 裁判を起こしたのは、名古屋市瑞穂区の薬剤師、奥田恭正さん(65)。近隣住民と共に、低層の住宅が立ち並ぶ地域に高層マンションを建設する計画に反対する運動をしていた奥田さんは、2016年10月7日、マンション建設現場の前で、現場監督の男性の通報を受けて駆けつけた愛知県警の警察官に、現行犯逮捕された。男性は、奥田さんの両手で胸を押されて突き飛ばされた、と訴えていた。さらに、後ろを徐行していたダンプカーの側面に背中が接触したため、全治1週間の「左背部打撲」を負った、とも訴えた。

 逮捕された奥田さんは、瑞穂警察署で指紋を採られ、次いで綿棒を使ってDNA型を判定するための口腔内細胞を採取された。顔写真も撮影された。勾留は同月21日まで続き、同日暴行罪で起訴された。

 裁判で無罪の決め手になったのは、奥田さんの背後から撮影されていた防犯カメラの映像。そこには、男性が申告したような暴行場面はなく、男性は、腕組みしたままの奥田さんを抱えるようにした後、1人で後ろに飛び退くような動作が映っていた。しかも、コマ送りした画像を見ると、打撲があったと主張する男性の身体左側はトラックに接触しておらず、触れた可能性があるのは「右側」だった。

 男性や目撃証人となった警備員の証言も不自然で、名古屋地裁は「犯罪の証明がない」として無罪とした。検察側は控訴せず、判決は一審で確定した。

 にもかかわらず、奥田さんの写真、指紋、DNA型は、警察庁のデータベースから削除されなかった。国は、「犯罪捜査に資することを目的として整理保管」していることを認めている。

「逮捕前の私に戻してほしい」という思いで提訴した裁判。1月18日の名古屋地裁判決は、国や愛知県などへの損害賠償請求は退けたものの、個人データの保管については、「(指紋やDNA型などを)公権力からみだりに取得されない自由が保障され、みだりに利用されない自由が保障される」としたうえで、「犯罪の証明がないと確定した以上は、それ以降の継続的な保管の根拠が薄弱になるといわざるを得ない」と判示した。さらに奥田さんには「余罪や再犯の可能性」は認められず、データは「保管する必要はなくなった」と断じた。さらに判決は、ドイツなど諸外国を比べても、日本は「みだりに利用されない自由」を保護する法的なルールが「脆弱」と指摘している。

法的根拠もなく、警察内部の規則によって採取され、保管され続けるDNA型

 この判決について、辻本典央・近畿大教授(刑事訴訟法)は、次のように評価する。

「妥当な判決です。いちばんの問題は、指紋やDNAなどの保管や利用について、日本は法律によらず、国家公安委員会規則、つまり警察内部の規則で運用してきたことです。どういう場合に抹消すべきか、についても曖昧。いったん採ったら亡くなるまで消さない状態が続いています。判決はその点を問題視しており、保管・利用の目的や期間、消去する場合などを定めた立法を求めていると見るべきでしょう」

 その警察内部の規則でも、規定はあいまいだ。今回の判決によれば、データベース運用に関する要件、対象犯罪、保存期間、抹消請求権についての規定がなく、抹消については

・(当人が)死亡したとき
・保管する必要がなくなったとき

 ――としか書かれていない。

 昨年5月、参院内閣委員会で警察庁は「誤認逮捕といった場合には、その方の被疑者写真、指紋、DNA型を抹消することにしております」と答弁した。ならば奥田さんのように、「犯罪の証明がない」として無罪になっても消去されないのはなぜなのか。その理由もわからない。

 警察庁によれば、2020年末の時点で、同庁のデータベースには被疑者の写真約1170万件、指紋約1135万件、DNA型141万件が保管されている。写真と指紋は、日本の人口の約1割が、法的なルールが定められないまま登録されている計算になる。

 保存や利用だけでなく、データの採取に関しても、ルールは不十分だ。指紋や顔写真については法律上の規定があるが(刑訴法218条3項)、DNA型に関しては法的根拠が定められていない。そのため、裁判所の身体検査令状を得て行うことが期待されているが、現実はどうか。

 奥田さんが起こした裁判の原告弁護団長の國田武二郎弁護士は、こう語る。

「実際は、被疑者が『任意』で(DNA型判定のための)細胞を提出した、という形にして、令状をとらないことが多い。一般の人は、指紋採取は法律の規定があるので拒否できないが、DNAの場合は規定がないので拒否できる、なんていうことは、普通は知りません。警察官から『指紋の次はこれ』と言われて(口腔粘膜採取のための)綿棒を出されれば、応じなければいけないものと思って(細胞を)提出するわけです。奥田さんの場合もそうでした」

 どのような被疑者に対してDNA型鑑定を行うかについても、もっぱら警察内部で決められ、通達で全国の警察に伝えられる。しかも、DNA採取に関する警察の方針は、この十数年で次のように拡大してきた。

 採取は当初、性犯罪や強盗、窃盗事件で被疑者を逮捕し、同種犯罪について余罪の立件を具体的に検討している場合に限られていた。ところが2010年4月からは、余罪を具体的に把握していなくても、疑いがあれば積極的にDNAの任意提出を求める方針に転じた。

 さらに2012年9月、性犯罪以外の罪であっても、余罪がある可能性にこだわらず、あるいは逮捕していなくても、積極的にDNAを採取し鑑定を実施するように指示した。2016年12月にも、積極的にDNAの採取と保管をするよう指示する通達を出している。

 奥田さんのように、DNA型はまったく関係ない事件でも、DNA採取が行われ、データ登録がされているのは、こうした通達に沿ったものだ。

DNA採取の細かいルールがあるドイツ、顔認識技術を使った警察捜査を原則禁止したEU

 DNA鑑定の精度は上がっており、過去の未解決事件の解明に役立つことがある。昨年10月には、2001年に広島県福山市で主婦が殺害された事件で、DNA鑑定が決め手となって、20年ぶりに被疑者が逮捕された。この被疑者は、昨年夏に刃物を所持していたとして銃刀法違反容疑で任意の捜査を受け、その際に採取されたDNAの型が、殺人事件の現場に残された血痕のDNA型と一致した、という。

 ただ、当初否認していた被疑者はその後、自白したと報じられたが、起訴後は否認に転じている。弁護人が裁判では自白調書の任意性を争う方針を明らかにした。DNA型が事件を真に解決したといえるかどうかは、これから行われる裁判に委ねられる。

 この事件では、警察は近隣の住民にも広くDNAの提供を求めた。警察としては強制している認識はないのだろうが、「疑われたくないから」と渋々応じた住民の声なども報じられている。

 警察の方針によって、採取や保管の範囲が広がり、しかも被疑者が手続きを知らないのをいいことに、裁判所でのチェックも省かれている。この点についても辻本教授は、法律でルールを定めるよう求める。

「刑事訴訟法の歴史からすると、DNAを利用する捜査は新しい分野なので、立法が遅れています。被疑者に、なかば義務的に思わせて採取するようなことがあれば問題です」

 辻本教授によれば、ドイツではDNA型を使った捜査を行える範囲や目的、データの保管や利用、消去などについて細かく定めた法律がある、という。なぜ、日本ではそうしたルールに従った捜査ができないのか。

 警察は、DNAだけでなく、写真データベースについても、顔認識の最新技術を利用し、捜査に積極活用している。このデータベースを、犯行現場などの防犯カメラ映像やSNSで入手した事件関係者の顔画像とAIを使って照合する。

 ただ、この顔認識の技術は万全ではない。2020年には米デトロイトで、写真の顔認証によって黒人男性が誤認逮捕された。IBMやAmazon、Microsoftなどが顔認証技術の警察への提供を停止している、と報じられている。

 また、EUは公共空間での顔認識技術を使った警察の捜査を原則禁止するなど、AI利用に関するルール作りも始まっている。

 そんななか、日本ではルール作りの動きさえ見られない。

「DNAにしても写真にしても、警察にとっては重要な捜査手法で、データベースを充実させたいのは理解できる。そうであるならば、なおのこと明確なルールを作って、いらぬトラブルを防ぐようにすべきです」(辻本教授)

 奥田さんが起こした裁判で控訴した国は、最高裁で敗訴するまで、ルール作りをしないつもりだろうか。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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