テレビ報道の「自画像」
テレビ局、それも報道番組制作の現場をテレビ番組自身がルポし、現在のテレビ報道が抱える問題点を炙り出すルポルタージュが登場した。東海テレビ(フジテレビ系)の『さよならテレビ』である。
同番組は東海テレビ開局60周年記念番組として制作され、2018年9月2日(日)16時から17時半までの90分間、放送された。その記念番組のキャッチコピーは、
「お化粧したメディアリテラシーはもういらない。報道の現場にカメラを入れ、『テレビの今』を取材する」
というもの。視聴すると、キャッチコピーどおりの番組だった。以下、同番組のホームページに掲げられた番組宣伝の内容を引用する。
<長年、メディアの頂点に君臨してきたテレビ。
しかし、今はかつての勢いはない。インターネットの進展など多メディア時代に突入し、経済的なバックボーンである広告収入は伸び悩んでいる。
さらに、プライバシーと個人主義が最大化して、取材環境が大きく変化し、現場の手間は増える一方だ。
「第4の権力」と呼ばれた時代から、いつしか「マスゴミ」などと非難の対象となり、あたかも、テレビは、嫌われ者の一角に引き摺り下ろされてしまったようだ。
果たして、テレビは本当に叩かれるべき存在なのだろうか。
「偏向報道」「印象操作」は、行われているのか。
現場は何に悩み、何に奮闘し、日々どんな決断を迫られているのか。
テレビの存在意義、そして役割とは一体何なのか。
そして、テレビがこれから生き残っていくためには何が必要なのか。
お化粧したメディアリテラシーはもういらない。
報道の現場にカメラを入れ、「テレビの今」を取材する。>
(東海テレビホームページより)
ルポ――現場報告――がその本領を発揮するのは、解決策がわからない時である。解決策を探し出したい、あるいは編み出したいという明確な意図があってはじめて、ルポは最大限の威力と効果を発揮する。ただルポするというだけではなんの意味もなく、ルポの無駄遣いでしかない。
では、なぜ東海テレビは自らの報道番組制作現場をルポし、放送するに至ったのか。テレビは今、制作現場にいる人々の自浄努力だけでは、もはやどうにもならないところにまで来てしまっているとの自覚と問題意識が、同番組の制作者らにあったから――としか考えられない。