実弟の防衛相からもダメ出しされた安倍晋三版「核兵器共有」案
2月24日、ロシア軍が隣国ウクライナに侵攻し、その後も3カ月間にわたってウクライナ国内で戦争が続いている現在、日本の政治家たちが至って雄弁である。日本はロシアから見て東隣の隣国であり、その反対側にある西隣のウクライナが、軍事施設ばかりか学校や民家、ショッピングセンターまでミサイルで攻撃され、果ては原子力発電所が攻撃・占拠されるという前代未聞の暴挙を目の当たりにすれば、人が浮足立つのは当たり前である。「語ること」が仕事の政治家たちが多弁になるのも、ごく自然な反応なのだろう。
だが、政治家の彼らから繰り出される「国の防衛」に関する発言の中には、思慮に欠けたものや、ドサクサ紛れに実現不可能な眉唾物の夢物語を、さも実現可能な話であるかのように語るものまで紛れ込んでいるから、注意が必要だ。私たち一般庶民(=有権者)が、そうした話に踊らされ、判断を誤らないように見極めるための目安は、その話の「実現性」と「有効性」である。
安倍晋三・元首相(2月27日)。フジテレビ『日曜報道 THE PRIME』での発言。
「非核3原則はあるが、議論をタブー視してはならない。NATO=北大西洋条約機構でドイツなども『核シェアリング』をしている。国民の命をどうすれば守れるかは、さまざまな選択肢をしっかりと視野に入れながら議論すべきだ」(2022年2月27日 19時24分NHK記事より)
「核シェアリング」(核兵器の共有)とは、米国の核兵器を日本国内に配備し、日米で共同運用するというものだ。国是である「非核3原則」(核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず)のうち、「つくらず」以外の2つをやめてしまおうという問題提起である。だが、安倍発言翌日の2月28日、岸田文雄首相は参院予算委員会で、「非核三原則を堅持するという我が国の立場から考えて、認められない」と、現政権として受け入れることはできないと、すぐさま否定する。その翌日の3月1日には、実弟の岸信夫防衛相からも、「平素から自国の領土にアメリカの核兵器を置き、有事には自国の戦闘機などに核兵器を搭載・運用可能な体制を保持する枠組みを想定しているのであれば、非核三原則を堅持していくことから認められるものではない」と、重ねてダメ出しをされる。
果たして安倍「核共有」案は、核兵器の所有国である米国の意向を予め確認し、米国側から内諾を取り付けた上で提起されたものなのか。岸田首相が翌日に即刻全否定していることからも伺えるように、恐らく安倍氏は米国に対し、何の打診も根回しもしないまま、思い付きで放言したのだろう。だとすれば、実現性がないばかりか、相当無責任な話であり、岸田政権の足を引っ張る嫌がらせでしかない。肝心の持ち主に何の断りもなく、勝手に夢や希望を語ったところで、貸してもらえる保証はない。ましてそれが「核兵器」となれば、何をかいわんや、である。そもそも、こうした安倍流のやり方は、まったく「外交」の体をなしていない。
「非核3原則は昭和の価値観」とする維新「非核2原則」論
日本維新の会・馬場伸幸共同代表(5月3日)。BSフジ番組での発言。
「米国が核の傘で日本を守る場合に、日本の領海などに入らないでほしいと言えるはずがない。現実に目を向けて議論すべきだ。二原則でもいい」(2022年5月3日 22時29分東京新聞記事より【共同通信配信記事】)
安倍「核共有」案への賛意を猛然とアピールしたのが、日本維新の会だった。言い出しっぺに続き、またしても「フジテレビ」系列の番組内での発言であるということも、興味をそそられる。当の自民党現政権からさえ袖にされる「核共有」案に対し、日本維新の会の松井一郎代表(大阪市長)は安倍発言翌日の2月28日、核共有を「議論するのは当然だ」と発言。さらには「非核3原則は昭和の価値観」だと言い切った。そして、安倍「核共有」発言から3日後の3月2日に開かれた日本維新の会の役員会で、非核3原則の見直しや「核共有」について議論を始めるよう、政府に提言すると決めた。
だがその翌日、実際に政府に提出された提言からは、非核3原則の見直しを求める文言や、「核を持たない国は核保有国による侵略のリスクが高い」とする文言が削られていたのだという。朝日新聞の報道によると、被爆者団体から批判されたため、たった一日で方針転換したのだとされる。
非核3原則の見直しを求める前に“政府への提言見直し”を迫られた格好で、たった5日の間にかなりの迷走ぶりだ。無様なほどの軽さであり、同党の定見(しっかりと定まっている意見)のなさを見せつけられた世間から、“安倍発言に付和雷同(自分にしっかりとした考えがなく、他人の言動にすぐ同調すること)しただけ”と受け取られるのは必至。日本維新の会という政党の信用にも関わる事態である。
中でも「核を持たない国は侵略のリスクが高い」とする文言は、「核兵器保有国にならないと米国から攻撃される」という、かの国の主張や発想と瓜二つだ。かの国の主張が「独りよがりの妄想」なら、この提言案も間違いなく「独りよがりの妄想」と評価されよう。実際に提言されていれば、同党の存亡をも危うくする一大スキャンダルに発展していたと思われる。今夏に予定されている参議院議員選挙の前に大恥をかくところだった。
しかし、それでも安倍「核共有」発言への未練が断ち切れないのか、維新・馬場共同代表は5月3日、前掲の「非核2原則」論を開陳。3原則から「持ち込ませず」を削除すべし――というのだった。“政府への提言見直し”から2カ月後の発言であり、その間に米国への根回しを済ませることはできたのだろうか。
その「非核2原則」発言からおよそ1週間前の4月25日、自民党と連立政権を組む公明党の山口那津男代表は熊本市での街頭演説で、核共有は「かえって危険性が高まる」と主張。「日本が共有すれば、核拡散防止条約(NPT)を破る国が世界中にたくさん現れるかもしれない。間違って使う国が出ないとも限らない」とその理由を説明し、「核共有反対」を明言していた。自公連立政権が「自維」連立政権に変わり、さらには安倍氏が首相の座に返り咲くような一大政局でも起こらない限り、日米「核共有」に向けた歩みは掛け声だけで一歩も進まないのだろう。
それに加え、借りる先の米国からは、「つまり米国の『核の傘』の力を信じないということか?」 という疑念を持たれ、世界各国からは、「日本はNPT(核拡散防止条約)を破壊するつもりか?」との非難や批判が轟々と押し寄せてくることも、「核共有」論者は覚悟しておかなければならない。安倍「核共有」案は、日本(と米国)のことだけを考えていれば済む話ではないのだった。独りよがりの妄想は、かの国の前例が示すとおり、国民を道連れにしながら世界から孤立する道へと突き進んでいくのである。
「核共有」は「原発防衛」の手段にならない
宣戦布告なしで始まったロシアによるウクライナ事変は、「核武装」の有効性や実現性の問題だけでなく、核発電――つまり原発をどうやって武力行使から守るのかという問題まで、同時に炙り出している。
山口壮・原子力防災相(5月13日)。閣議後会見での発言。
「ミサイルが飛んできてそれを防げる原発はない。世界に1基もない」(2022年5月13日 15時00分朝日新聞記事より)
有事となれば、通常は発電する「蒸気機関」に過ぎない原発が、“自国に向けられた核兵器”へと豹変してしまう。ロシア軍がウクライナ国内の原発を標的にした事実が、そのことを如実に物語っている。核兵器を自分にも貸してほしいと米国にねだる「核共有」案より、すでに多数ある原発の「ミサイルからの防衛」問題をどうするかという議論のほうが、現実的な課題であり、現在の日本にとって優先されるべき問題なのは論を俟たない。それに、いくら核武装したところで、原発が標的にされることを防げるわけでもない。つまり「核共有」は、「原発防衛」の手段とはならない。
安倍元首相は4月14日、国の防衛予算を倍増させるための国債発行についても言及していた。通常の国債とは別に建設国債が発行されているのと同様に、「防衛国債」(仮称)を発行せよ、というのである。そして、
「防衛予算は次の世代に祖国を残していく予算だ。私たちが今求められているのは予算において国家意思を示していくことだ」
「北大西洋条約機構(NATO)加盟国並みの国内総生産 (GDP)比2%という目標をしっかりと示し、検討してもらいたい」
と主張していた。だが、自分は歴代最長の7年以上もの間、首相をしていたのに、なぜその間にやらなかったのか――と甚だ疑問に思う。首相だった時、自分の選挙区の支持者を東京まで招き、税金を使っておめでたく「桜を見る会」をやっている場合ではなかったのではないか。次の世代に祖国を残していくことを心配しながら「防衛国債」(仮称)の導入を目指せばよかったのに、なぜ安倍氏はそうしなかったのか。それをやらずにいて、今になって「防衛国債」(仮称)の発行を語り出すのは、政治家として定見がないばかりか、無責任の極みでさえある。
それに、防衛費を倍増させれば原発の「ミサイルからの防衛」問題まで解決するというわけでもない。山口原子力防災相も言うように「ミサイルが飛んできてそれを防げる原発はない」からだ。科学技術や軍事技術で解決できる問題なのかどうかも、まだわかっていない。
さらにいえば、「防衛国債」(仮称)の発行が財政バランス上もノーリスクでできて、元首相の安倍氏がいえば気軽に発行できるようなシロモノなら、新型コロナ禍で困窮した下々に配られた2020年春の「特別定額給付金」も、1人10万円ではなく100万円にすればよかったし、今後消費税率を上げる必要もなくなるはずである。国がそうしないのは、国庫に蓄えていた税金が大盤振る舞いした分だけ目減りするからだ。そして、目減りした分のツケを払うのは言い出しっぺの安倍氏ではなく、私たちのような一般庶民や「次の世代」の皆さんなのである。
次の世代に祖国を残していくことが本当に心配なら、ミサイルの標的にされかねない原発の廃絶を具体化させるほうが、「次の世代に祖国を残していく」ためには余程役に立つ。ミサイル攻撃を防げる原発は「世界に1基もない」(山口原子力防災相)のだから。ウクライナ事変が起きた今こそ、政治家に定見が求められる。
(文=明石昇二郎/ルポライター)