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江川紹子の「事件ウオッチ」第206回

江川紹子が斬る【大崎事件再審棄却】最高裁への疑問…知的障害者への強引な取調と有罪判決

文=江川紹子/ジャーナリスト
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注目された最高裁判所の判断だったが……(写真=キャプテンフック / PIXTA)
注目された最高裁判所の判断だったが……。(写真:キャプテンフック/PIXTA)

 43年前に鹿児島・大崎町の牛小屋堆肥置き場から男性の遺体が発見された「大崎事件」で、原口アヤ子さんと夫(故人)の裁判のやり直しを求める再審請求を、鹿児島地裁(中田幹人裁判長、冨田環志裁判官、此上恭平裁判官)が棄却した。弁護人はこの決定を不服として即時抗告した。

鑑定の証明力を矮小化し、確定判決に固執する裁判官

 裁判では、家族4人がタオルで男性の首を絞めて殺害し、遺体を遺棄したと殺人事件と認定された。原口さんは主犯として、関係者のなかで最も重い懲役10年が言い渡され、最高裁まで争ったが確定し、服役した。原口さんの再審請求はこれで4度目だが、過去の請求では3回、再審開始決定が出ている。上級審で覆されて再審は開かれなかったが、開始決定はいずれも3人の裁判官による合議。つまり、少なくとも6人の裁判官が、有罪判決に疑問符をつけていることになる。

 特に第3次再審請求審では、鹿児島地裁と福岡高裁宮崎支部が相次いで再審開始決定を出した。それを、最高裁第1小法廷が破棄し、高裁に差し戻すこともせずに、みずから再審不開始を決めた。下級審がいずれも有罪判決に「合理的な疑い」を呈したのに、最高裁が手続きを強制終了させるという、異例の展開を遂げた。

 一連の再審請求において、最大の争点は、死亡した男性Aさんの死因だ。

 その判定が難しいのは、遺体発見時にかなり腐敗が進んでいた点にある。解剖した鹿児島大学法医学教室のJ教授は、「頸椎前面の組織間出血」があった点を頼りに、頸部に外力が加わったと推定し、頸部圧迫による窒息死と判断した。

 ところが、鑑定時のJ教授に、警察は重要な情報を知らせていなかった。Aさんは遺体が発見される3日前、酒を飲んで自転車ごと農道の側溝に落ちる事故に遭っていた。側溝のなかで動くこともできないまま放置され、その後、近隣の人に引き上げられ、車で自宅まで運ばれていた。

 J教授はこの事実を知って、第1次再審請求の際に、「側溝への転落で頸椎や頸髄に重篤な損傷が生じて事故死した可能性が高い」「頸椎前面の組織間出血以外に頸部圧迫を推測させる所見はなかった」――――と鑑定内容を修正し、新たな鑑定書を提出している。

 これまでの再審請求審には、J教授と同様、Aさんは事故死したとする弁護側の主張に見合う医学鑑定がいくつも出されている。

 たとえば第3次再審請求では、Aさんの遺体には頸部圧迫による窒息死の所見がなく、溝に自転車ごと転落するなどしたことに起因する出血性ショックで死亡した事故死の可能性が極めて高いとする法医学鑑定が新証拠として提出された。福岡高裁宮崎支部は、この鑑定を拠り所に再審開始を決めている。

 第4次再審請求でも、弁護側は救命救急の専門医が解剖時の写真や所見などを基に死因を分析した鑑定書を提出。専門医の証人尋問も行われた。

 それによるとAさんは、側溝に落ちた際に頸髄を損傷して動けなくなった。少なくとも2時間半、寒さのなかで濡れたまま放置されていたことで低体温症となり、全身状態が悪化。血液が供給されず壊死した小腸から大量に出血したうえ、救急医療の知識がない近隣の人が、頸髄損傷でグラグラになっている首を保護せずに運んだために、この損傷も悪化し、自宅に着いた時刻には死亡していた可能性が高い、と結論づけた。

 再審開始を認めない裁判所が、こうした「事故死」鑑定を退ける際に多用されるのが、「事故死の『可能性』があるかもしれないが、そうでない『可能性』もある」という論法だ。

 第3次請求で高裁決定をひっくり返した最高裁第一小法廷もそうだったし、今回の鹿児島地裁の決定も同様だ。頸部損傷について、鹿児島地裁決定は「溝への転落により生じた可能性があるとはいえても、他の原因の可能性も否定できないというべき」と繰り返し、鑑定の証明力を矮小化した。

 裁判官が頭のなかで「他の可能性」を膨らませている以上、再審開始の扉は閉ざされ続けることになる。

知的ハンディのある関係者の供述頼みで書かれた有罪判決

 1975年の最高裁白鳥決定は、再審を開くかどうかの判断に当たって、次のような原則を示した。

・もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとすれば、はたして有罪認定に達しただろうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきである

・再審請求審でも「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用される

 これによって、確定判決の事実認定を完全に覆さなくても、それに「合理的な疑い」を生じさせれば、再審の扉が開かれることになった。

 ところが近年、この原則を骨抜きにし、再審の扉を狭めようとする動きが目につく。大崎事件の第3次再審請求での最高裁第一小法廷しかり、先般の名張毒ぶどう酒事件の名古屋高裁での決定しかり、そして今回の鹿児島地裁決定も例外ではない。

 事故死の可能性が高いとする鑑定が積み上がっているのに、それには見向きもせず、新たに提出された鑑定書だけを見て、「他の原因の可能性もあるじゃないか」とケチを付けて排斥し、確定判決に固執する態度は、「疑わしきは被告人の利益に」ではなく、「疑わしきは確定判決の利益に」である。

 有罪の確定判決を支えているのは、客観的な証拠ではなく、関係者の供述だ。

 捜査段階の早くから、警察は原口さんが主導した保険金殺人事件と見立て、関係者への取調べを開始した。共犯者とされた3人には、知的障害がある。現在では、知的障害によりコミュニケーション能力に問題のある被疑者の取調べの際には、警察段階から全過程を録音録画することになっている。彼らは誘導や脅しに影響されやすく、取調官に合わせてしまいがちな供述弱者だからだ。しかし、本件当時には可視化などまったくなされていない。

 密室での取調べで、3人の供述は著しく変遷しながら、原口さん、夫、義弟の3人がタオルで首を絞めて殺害し、義弟の長男も手伝わせて遺体を遺棄した、とする筋書きにまとめられていった。この間、原口さん本人は容疑を否認し続けていた。

 原口さんに対する有罪判決を見ると、「共犯者」らの供述は求めたが、3人をはじめとするJ教授を呼んで証言を求めた形跡がない。結局のところ、当時の裁判官たちは知的ハンディのある関係者の供述頼みで有罪判決を書いているのだ。

 私は中田幹人裁判長、冨田環志裁判官、此上恭平裁判官の3裁判官に問うてみたい。

「あなた方は今、通常審で本件を担当した時に、これだけの『事故死』鑑定が積み上がっているなかで、あえて共犯者の供述頼みで有罪判決を書くのですか?」

 今の裁判所が、先輩裁判官の誤りを正せないのであれば、再審請求審の仕組みを変えるしかない。裁判員制度や検察審査会のあり方などを参考に、過去の裁判官に何のしがらみもない市民を再審請求の過程で関与させるようにすべきだろう。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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