生物学的観点と、主観的観点(2つ)があり、さらに客観的観点の主体を「医師」と限定しているなど、法上の定義としては、かなり珍しいものだと思います。立法側の、性同一性障害を定義する難しさを垣間見た思いでした。
次に、戸籍の変更を申請することができる条件(第3条)ですが、以下のようになっております。
(1)第2条に定義する性同一性障害であること
(2)二十歳以上であること
(3)現に婚姻をしていないこと
(4)現に未成年の子がいないこと
(5)生殖腺がないこと又は 生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
(6)性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
(2)では、性同一障害で苦しんでいる20歳未満の少年少女を、法律的(戸籍)には救済できないので、かわいそうな気もします。立法側は、法律の手続きを行う主体を、民法の一般原則の「成人」に限定したのでしょう。
(3)(4)については、例えば「お父さんが2人目のお母さんになること」を、民法の結婚の規定からも、認容することができなかったのだろうと思います。もっとも、実生活において「2人目のお母さん」が存在しても、法律上は問題ありません。
また、(4)の「未成年の子」は2008年改正までは、ただの「子」でしたが、改正法では、子どもが成人したあかつきには、お父さんは晴れて「女」になれます。この場合、戸籍上の性別が「女」になっても、子どもの戸籍における身分は「父」のままです。「男の娘(おとこのこ)」ならぬ、「男の母」あるいは「女の父」が、法律上担保されることになります。
興味深いのが(5)です。生殖腺とは「卵巣」または「精巣」のことですから、これを除去しているか、使えない状態にしていることが条件になっています。例えば、戸籍の性別を女から男に変更した後、その人が赤ちゃんの出生届を提出したら、役所が混乱することは想像に難くありません。
しかし、上記の「女の父」が認めているのであれば、「お父さんの出産」というパラダイムを認めないことは、バランスが悪いようにも思えます。また、『「母=女」「父=男」の既成の概念を守るためなら、優生思想を許してもよい』とも読めて、ちょっと怖い気がしました。
さらに興味深いのが(6)です。これは「大衆浴場に入った時に、周囲が驚かないように乳房やペニスに見えるようなものを手術で削除、または付加するように」と、「法律」が命じているのです。私はこんなにも世間の日常生活に配慮した人間くさい法律を読んだことがないので、思わず深々とうなずいてしまいました。
しかし、その一方で、すべての性同一性障害の人が、手術療法を選択するわけではないし、また、必ず銭湯に行かなければならないわけでもないです。一律に手術を強要するというのは、ちょっと横暴じゃないかな、とも思いました。
ちょっと横道にそれますが、先ほどの「立ち小便」と同様に、この「入浴」も性同一性障害を理解する一つのキーワードとなっているようです。
次回は、学校におけるプールやトイレ、体育の授業の時の着替え、修学旅行における入浴の問題などの、本人や現場での対応などについてもお話したいと思っております。
今、私はこの原稿を執筆しながら、「そもそも『性』とはなんだろう。なんのためにあるのだろう」という、ゲシュタルト崩壊の状態になってきております。さらに、「そもそも、男湯と女湯を分けている理由とはなんだろう?」と、真剣に考え込む日々が続いております。ちょっと頭を冷やしみたいと思います。
では今回の内容をまとめます。
1.性同一性障害を全体的に理解するために、(1)自己意識、(2)施術の内容、(3)法律の3つの観点から、定義、分類または解釈を試みました。
2.上記(1)の自己意識については、異なる性を認識した上で、特に何も行わない人から、身体を施術で変える人まで大きく3パターンに分類できるようです。
3.上記(2)の施術の内容からは、(a)精神療法、(b)ホルモン療法、(c)手術療法のそれぞれを必要とする人の3パターンに分類できるようです。
4.戸籍の性別を変更することは可能ですが、生殖腺の除去や、手術療法が義務づけられているなど、大変厳しい条件が課せられているようです。
今回で、性同一性障害に関する一般知識については終了し、次回以降は、性同一性障害と共に生きている人の日常(生活から裁判に至るまで)に着目していきたいと思っております。
(文=江端智一)
※なお、図、表、グラフを含んだ完全版は、こちら(http://biz-journal.jp/2014/07/post_5404.html)から、ご覧いただけます。
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