吉田調書の存在は、政権や東京電力にとって非常にナーバスなものだった。原子力発電所を再稼働させて利益を出したい東電をはじめとする電力会社。一方、日本経団連が政治献金を復活させるように、財界による政治献金復活を期待する自民党。その財界の主軸を担ってきたのが東電だが、今の経営状況では政治献金どころではないので、早く原発を再稼働させて収益を安定させたい。吉田調書が表に出て「再稼働は本当に大丈夫なのか」と国民目線でチェックされ始め、再稼働に向けての大きな「障壁」となるのは避けたいところだった。
本報道は、原発再稼働の在り方に問題意識を持つ記者たちが、東電や政府が知られたくない情報を自分たちの足で見つけ出した「調査報道」による成果である。調査報道とは、政府や役所などの公権力、大企業などの行動を監視し、不正や問題点があればそれを新聞社の力であぶり出すことである。納税者(有権者)や消費者が騙されないように「今、本当は何が起きているか」を暴き出すことでもある。その際には、国民的な共感が得られ、社会的にも意義があることをテーマにしなければならない。
こうした点から本報道は、調査報道に値する報道であった。なし崩し的に原発再稼働が実施されようとしている時に、再稼働の推進と反対に国民(有権者)の意見が大きく二分する中で、「吉田調書」とは、原発で不測の事態が起こればどうなるかを現場の責任者が語った「証言」であり、その内容を有権者に伝えることは意義深いことである。吟味すると、その中には「不都合な真実」が隠されているため、東電や政府は表に出したくないのである。
●公権力の監視である調査報道を放棄する行為
そして調査報道の端緒は、内部告発者がいたり、内部告発者が発信した決定的な証拠となる文書などが存在したりする。内部告発者にとっては、自分が告発していることが明らかになれば、人事で不利益を被ったり、場合によっては組織から締め出されたりするリスクがある。それが政府関係者であれば、今後は特定機密保護法違反で刑事的に処罰される可能性もある。吉田調書発掘に当たっても、リスクを冒して朝日記者に協力した人物がいることは間違いないだろう。
そうした協力者は、朝日が報道を取り消し、取材の経緯などが外部の第三者が入るような委員会で調べられれば、自分の存在が情報を提供した記者以外にばれるのではなかと大いに危惧するだろう。リスクを冒して提供された情報をベースに一度は記事化されたものが取り消されるとは、一体どういうことなのか。情報提供者を裏切る信じがたい行為である。朝日新聞は調査報道での「常識」から大きく逸脱した行為を取ったといえる。しかも、捏造などの不正を犯したわけでもないのに、短時間の一方的な社内調査によって吉田調書報道の関係者に対して厳正な処分を下す方針を木村伊量社長は示しているが、これは情報提供者をも同時に「断罪」することと同じ行為といえるのではないか。すなわち本報道をめぐる謝罪は、朝日が公権力の監視である調査報道を放棄したことを意味する。