(1)5月、東京都は、漫画『妹ぱらだいす!2』(KADOKAWA)について、描写の過激さではなく近親相姦を賛美・誇張していることを理由に、都青少年条例の定める「不健全図書」に指定。これを受けてKADOKAWAは同書を自主回収した。
(2)7月、警視庁は「女性器」をテーマに創作活動を続ける、漫画家・美術家のろくでなし子氏を逮捕。自身の性器の3Dデータ(このデータを3Dプリンターに取り込むと、形状を再現できる)を支援者に配布した疑い。
(3)8月、愛知県警が、愛知県美術館に展示中の写真家・鷹野隆大氏作品の男性の性器が写った写真をわいせつ物であるとの理由で撤去を求める。結局、性器の部分を薄い布や紙で覆うなどして展示することになった。
こうした事件に関して、新聞・テレビはそこそこの紙面・時間を割いているのだが、その割には、議論はあまり活発ではないようにみえる。
●性表現規制は表現の自由への介入?
もしかすると、「性表現には関心はない」「一般常識で判断すればいい」といった世間の空気なのかもしれない。しかし筆者には、実はこうした一連の動きは、「秘密保護法」や「朝日新聞バッシング」と同列とまでは言わないが、表現の自由にとって意外に重たい問題を内包しているように思えるのである。
そもそも性表現の規制は、名誉毀損と並んで最も歴史の長い表現規制である。なぜ性表現が早くから権力者に目の敵にされたのか定かではないが、おそらく、あらゆる面で庶民より「価値の高い人間」であると自任していた王や貴族たちにとって、自らの華麗な衣装の下の醜い肉体と比べて、粗食に甘んじ激しく肉体を酷使して生きていた庶民の鍛え抜かれた肉体の美が、強い嫉妬の対象であり脅威でもあったことがその主因であろう。
美しい肉体の魅力は昔も今も、理屈や秩序を超えて強烈に人を引きつけ酔わせる力を持っているのである。支配者は、そういう性の価値紊乱性、つまり体制を根底から転覆しかねない潜在力を恐れ、徐々に「性=下品なもの、汚いもの、隠すべきもの」という道徳を私製して、自らの権威を保全しようとしたのではないか。
1972年に起きた日活ロマンポルノ裁判の際、被告人とされた映画監督・山口清一郎氏は「国家は『豊かなる性』に嫉妬する」という言葉を残したが、これは古今東西の性表現規制の本質を射抜いた名言であると筆者は思っている。