自分の会社を上場させた某社長が、バブル崩壊直前で切り抜け無傷で済んだ行動とは?
「Getty Images」より
ビジネスや投資で成功を収めると、ある種の高揚感に包まれます。自分には意外にも才能があるのではと思うものです。しかし、隆盛の時期は長くは続きません。大半の者が崩れゆく波にさらわれて淘汰されます。
一方、ほんの一部の者だけが直感を働かせ、萌芽したばかりの兆候や変調をリスクとして感じ取り、自らの行動や投資、はまたは人生を制御しているのです。そういったある意味、抑制の効いた直感の鋭い者だけが生き残るのです。今流行りの言葉をあえて使うならば「持続可能」となるのです。
私の所属する不動産業界は、「振れ幅の大きい」かつ「わかりやすい性格」の方が多くいらっしゃいました。今回は、多少下世話な実例になりますが、そのリスクとその制御、またはコントロールということについてお話ししたいと思います。
前回のコラムを偶然読んだ友人から、「なぜ不動産業界で百戦錬磨の社長が、自らは自己破産するのがわかっていて、韓国人女性に4億円も投資し店を出させてやったのか?」と質問を受けました。実は当時同じような話、つまり自分は破産するのがわかっていたが、女性に店を出させたといった話は、私も周りだけみても一つや二つではありませんでした。当時、私もまったく同じ質問をその社長致しました。その社長曰く――。
「ある晩その娘とホテルに泊まった。早朝まだ暗い内に目が覚めて横を見てみるとそこ娘がいなかった。ああ、やられたと思った。つまり財布を持ち逃げされたと思った。自業自得だと思ってトイレに向かうと、そのトイレに灯がついている。なんとその娘がそこにいたわけだ。何をしているかと思ったら、なんと俺の下着と靴下も洗って干していたんだよ」
これで、社員も取引先も、他人など誰も信じるようなことはなかった社長が、ストンと落ちてしまったようなのです。おそらくこの社長、彼の自宅では下着も「汚い」と言われて、奥さんや娘さんのものとは別に洗濯されていたのでしょう。
先のコラムでも書きましたが、その後この社長はバブルが崩壊し一文なしになりました。 そこで、支援した彼女が彼を助けたか? そんなことは、まずあり得ないことというのが、この業界の常識です。
色恋沙汰で失敗しない経営者
ところで、マンションやビルを建てる時、必ず反対運動が起こります。その時、デベロッパーからの委託で、うまく反対する人々に対処して懐柔する方々がいます。通称「近隣対策業者」といいます。
以前デベロッパーに勤めていた時、葛飾柴又の帝釈天の近くに分譲マンション建設を企画しました。その折り、錦糸町にあった近隣対策業者に地元対策を依頼しました。それを契機に何度となく錦糸町のコリアンクラブ(当時はスナック)で接待を受けました。そのたびに明治大学のラグビー部出身だった社長は、私に同じことをおっしゃいました。
「長谷川さん、これから行く店は危険です。この店には白いドレスのホステスがいます。私がお連れした方が、もう何人もそのホステスにはまっています。その娘にはソウル大学に通う弟がいて、その弟に学費を払うために働いていると言います。いいですか、長谷川さん、危険ですから注意してください」
こんなことを事前に言われるのは誠にしらける話しでしたが、最初店に入ってみて驚きました。「なるほど、これは危ない!」と。李王朝の末裔の高貴な皇女が、わけがあって錦糸町に流れ着いたような雰囲気がありました。
私が20代を過ごしたバブル期、上司や取引先の「お付き」で週に3回は銀座のクラブに連れて行かれました。当時は一晩に3軒は周りましたので、週で3軒×3日で9軒、月に4週で36軒、12カ月で約400軒。これがバブル崩壊まで約3年は続きました。しかし、この錦糸町の女性は銀座で遭遇した一流クラブのどの女性と比べても、不思議な魅力がありました。「これは人生を誤るわけだ」と。
近隣業者の社長が私に毎回、入店直前に同じ忠告をするのも理解できました。実際、彼女はソウル大学に通う弟の話をよくしていました。そのソウル大の話が出るたびに、私もどうにか正気に戻ることができました。
のちに日本においては全国的に韓流ブームがやって来て、コリアンクラブの料金設定も銀座の高級クラブと変わらないレベルになりました。その頃には当然バブルも弾け、日本経済も業界も低迷していましたし、何より私個人は独立し、サラリーマン時代のようにそういった店に行くこともなくなっていました。
そんなある日、旧知の知り合いの社長から飲みに誘われました。この社長の経営する会社が上場を控えていた頃のことです。「赤坂のコリアンクラブに好みの娘がいて、そこに行くので付き合ってくれないか?」と。そこで私は錦糸町以来、久々にコリアンクラブへ、またしても「お付き」で参ったのでした。
その高級クラブに入り、その社長に付いた娘を見て驚きました。あえて例えるならば、この世とは異なった異空間から来たような透明かつ霞に包まれたような娘だったのです。社長も自らの会社が上場準備に入っている忙しい時期、どうにか暇を見つけて来ているようでした。その女性の小指と薬指が、常に社長の手に触れているのが印象的でした。
それから数週間経った頃、その社長にお会いした時、「その後、あの娘とはどうなりましたか?」と野暮な質問をしました。すると社長曰く、「あの後、何回か外で食事して、よい雰囲気になったが、直前で引き返し帰ったよ」と。「えっ! なぜですか?」。社長曰く、「彼女は美人過ぎた」と。
なるほど。さすが会社を上場させる手腕をもった経営者とはこういうものかと、いたく感心しました。
「違和感」を感じる力
実は、この社長は1990年初頭の不動産バブル崩壊も寸前のところで切り抜け生き残った方だったのです。
1990年春、まだ日本中が不動産バブルで浮かれていた頃、当時の地域の業界仲間と熱海へ温泉旅行に行ったそうです。夜になり宴会が始まると、誰もが自分がいかに儲かったかといった話を始めたというのです。「俺は10億円儲かった」「完成前に売れて20億円抜いた」と。20〜30人いた不動産会社の社長連中の皆が皆、10億円単位で儲けていたと。
それを聞いた社長は「これはおかしい」と感じたそうです。優秀な人間もそうでない人間も、皆が皆儲かること自体が異常なことだと。そして、即座に宴会から一人席を外し、会社へ電話し、営業部長に「明日、朝一番からすべての保有物件を売却しろ」と命じたそうです。
絶好調のときこそ、足元をみる
リスクなるものは、誰の前にもなんらかの形で現れるものです。そのサインや兆候を感じ取れるかどうかなのです。調子の良い時、絶好調の時は、誰しもアルコールか入ったようなホロ酔い状態になるのです。まさに上機嫌なのです。そしてそれゆえ脇が甘くなるのです。野球やゴルフでいえば大振りをし始めるのです。
さらにこの状況が、いつまでも続くと思うのです。だからこそ、多くの者が立ち止まることも、引き返すこともできないのです。自らのビジネスや投資や人生を持続可能にするには、心地よい波が来ていたとしても、いつまでもその波に漫然と乗っていてはだめなのです。
波はいつか崩れます。その波が高ければ高いほど、崩れた時は大きく崩れるのです。それを感じ取ることができる能力とはなんでしょうか? それはもちろん運もあるでしょうが、やはり多くは経験からくる「直感」が働くかどうかなのかもしれません。
もしも、皆さんの仕事や投資やプラベートが絶好調であるならば、そしてまさに今、波に心地よく乗っていると思ったならば、今一度、自分の足元を見てはいかがでしょうか。
(文=長谷川高/長谷川不動産経済社代表)