6月21日、群馬県にある「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、ドーハで開催されている第38回ユネスコ世界遺産委員会で世界遺産に登録されることが正式に決まった。日本国内では18件目の世界遺産、群馬県においては初めてとなる。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、富岡製糸場のほか、近代養蚕農家の原型である「田島弥平旧宅」と、養蚕教育機関の「高山社跡」、そして蚕の卵の貯蔵施設「荒船風穴」の4つの近代化遺産によって構成されている。
今回は、富岡製糸場の歴史や建築物が分かりやすく解説された新書『富岡製糸場と絹産業遺産群』(今井幹夫/編著、ベスト新書)を参考にしながら、行く前に知っておきたい「富岡製糸場と絹産業遺産群」のあれこれをご紹介しよう。
■約150年の姿を維持し続ける「富岡製糸場」
「富岡製糸場」は1872年に操業し、日本の近代化に大きく貢献した官営の工場だ。
操業開始時は、製糸工場として世界一の規模を誇っていた。そして何よりすごいのが、それから115年間、1987年まで休むことなく稼働してきたことだ。操業が停止された後も、ほとんどその姿を変えることなく保存管理され、今日に至っている。
東西に約200メートル、南北に約300メートル、広さ5.5ヘクタールの敷地の中に配置された大小さまざまな建物は、日本の近現代を見てきた貴重な証言者であり、建築芸術としても、一級品のものばかりだ。
■どうして「富岡」が選ばれたのか?
では、どうして富岡が建設地に選ばれたのだろうか? 『富岡製糸場と絹産業遺産群』では、以下の5つが理由としてあげられている。
(1)富岡町は古くから養蚕が盛んで、原料になる繭の確保がしやすい。
(2)広い敷地があり、地元の人も建設に反対しなかった。
(3)製糸に必要な多量の水が確保できる。
(4)器械の動力源としての石炭が現地で調達できる。
(5)風景も良く、環境的にも優れている。(以上、35ページより引用)
新製糸場設立を任されたフランスの生糸技術者ポール・ブリュナが、武州(旧武蔵国)、上州(旧上野国)、信州(旧信濃国)で実地調査を行って詳しい情報を集めた結果、富岡が日本の製糸業の中心になるにふさわしいと判断したのだった。
■富岡製糸場は、過酷な労働を強いるブラック企業だったのか?
富岡製糸場が世界遺産に登録される見通しとなった際、話題になったことのひとつに、「富岡製糸場は元祖ブラック企業」説があった。実際の労働環境はどうだったのか?