『富岡製糸場と絹産業遺産群』には1883年から1893年までの月別の一日の平均労働時間が表になっている。工女の労働時間は、操業開始時は一日平均7時間45分だったが、次第に長くなっていき、約10年後の1883年は8時間40分となっている。そしてさらに9年後の1892年には1時間も労働時間が延びた。
少しトリビアな世界に入るが、労働時間は季節によって大きく違っていた。1892年を見てみると6月の労働時間が11時間38分だったのに対し、12月は8時間30分。3時間も差があった。これは、当時、工場内は電気照明を使わない自然採光だったため、日照時間によって勤務時間が調整されたことが一因だ。
このようにみると、いかにも「過酷な労働環境」と映るが、当時は「ブラック」どころか、「最先端」ととられていた。盆暮れの休みを除いて毎日、日の出から日没まで農作業をすることが当たり前の時代だったことを考えれば、富岡製糸場は恵まれていた。昼休みや休憩時間が決められ、食事も出るし、工場内に診療所もあった。日曜日が休みで、給料は等級に応じた月給制という西欧式の労働システムがいち早く取り入れられたことも、その後の産業界の参考となった。
工女と呼ばれた若い女性たちが、不満よりもプライドと意欲を持って作業をしていたことは、当時の資料からもうかがえる。
■4つの遺産群、一気にまわるのは意外と大変?
前述の通り、今回登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、富岡製糸場をはじめとした4つの施設から構成されている。
この4つの施設は、もちろんすべて群馬県内にあるのだが、一度にまわるのは意外とタイヘンだ。「田島弥平旧宅」があるのは群馬県南東部に位置する伊勢崎市境島村。そこから一番離れた蚕種貯蔵施設「荒船風穴」は、群馬県西部の下仁田町南野牧にある。その中間に、高山社跡と富岡製糸場があるのだが、電車で訪ねる場合、富岡製糸場以外はそれぞれ駅からバスやタクシーを使うことになるので(富岡製糸場は上州富岡駅から徒歩約15分)、一気にまわりたいのであれば車を使うか、ツアーに参加することをおすすめしたい(地図とアクセスガイドのページを参考にされたい)。
『富岡製糸場と絹産業遺産群』の巻頭には、60ページ以上にわたって製糸場や昔の史料のカラー写真が掲載されており、圧巻のひと言に尽きる。さらに、著者である今井幹夫氏は富岡製糸場総合研究センターの所長であり郷土史家なので、解説もかなり丁寧に書かれおり、ガイドブックとしても最適な一冊となっている。
10年以上の推進活動を経て、ついに世界遺産に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」。これから行ってみようと思っている人にとって、本書は格好の入門書になるだろう。
(新刊JP編集部)
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※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。