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株で儲けるために証券専門紙に入社する猛者も!

5年の法則? 今年〜来年にかけ、株相場が荒れる理由

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世界の市場に大きな影響を与えるEU危機について
報じる「日経ビジネス」(日経BP社/4月23日号)。
株式専門紙記者を皮切りに、証券人生30年の経済ライター・岡本昌巳。ブログ「今日の岡本」はほぼアルコールネタで埋め尽くされているが、独自理論に基づく株式相場の流れを重視した銘柄発掘力は群を抜くと評判。そんな岡本氏が、相場師が知っておくべき“常識”を指南する連載「飲んべえ岡ちゃんの相場師養成講座」(第8回)をお届けする。

「僕はバブルの恩恵を受けたでしょうか?」
 
 ちょっと個人的な話で恐縮ですが、これが前回の宿題です。

「間接的には恩恵を受けたけど、直接的には受けていない」というのが答えですね。

 1990年代に入って「さあ、いよいよ僕もバブルの恩恵に浴すぞ」とわくわくしていましたが、それ以降、バブルが崩壊していきました(笑)。

 僕がこの業界に入ったのは、昭和57年(1982年)のことです。ちょうど今から30年前ですね。あれから30年か。爺になるはずだ(笑)。僕は原稿を書くとき、平成何年ではなく、西暦何年と西暦を使いますが、昭和時代の話の場合、どうしても昭和何年と書きたくなる。当時も原稿は西暦で書いていたのですが、ノスタルジアを感じてしまい、どうしても昭和を使いたくなる。日本の元気な時代だった郷愁もあるのでしょうね。

 さて、今回の講義も脱線、道草をしますか……。

 新卒ですぐに証券界に入ったわけではありません。正確には大学中退組ですが、大学をやめて最初にやった仕事は出版社の広告取り。昭和55年、第二次オイルショックに揺れている年でした。
 
 朝7時前に出勤して、帰りは夜の10時、11時。広告取りといってもほぼ飛び込み営業で、学生上がりのペーペーが取れるほど簡単な仕事ではありません。当初はまったく契約が取れず、体重が激減しました。でも、仕事なんてそんなもんだろうと思っていました(無知でした)。
 
 まあ、今でいうブラック企業だったのかもしれませんが、最初にやった仕事がこれでよかったと思っています。なぜなら、その後やった仕事で、これほど過酷なものはなかったからです。

 今、ブラック企業に勤めている若者たちよ。若い頃にそうした仕事をしておけば、あとが楽ですよ。別の仕事が楽というつもりはないですが、ブラック仕事よりは楽ですから(笑)。それでも、こうした仕事は肉体的にも精神的にも長続きしないものです。半年間は営業成績最下位記録を更新しましたが、あるとき、ここで辞めたら何をやってもダメと思い、成績が上位になったら辞めようと決意し、目標を達成した1年半後に辞めました。

 しかし、その後、就職活動してもなかなか決まらない。プライベートな話ですが、当時新婚でした。今の時代だったら早い結婚ですが、当時はそんなものでした。

 新婚で失業者です! 女房は働いていましたから、ヒモみたいなものです。ホント、焦りますよ。

5年ごとのショック