65歳から80歳の“過ごし方が難しい”問題を、どう乗り切るのか?
私の好きな作家のひとりに井原西鶴がいます。現在、学校では西鶴について習うのかどうかは、わかりませんが、うん十年前の高校の授業で名を知り、読み始めました。西鶴は、江戸時代、元禄の世の上方(大阪)の作家で、当初は俳句の作者だったのですが、現在でいうところの小説やノンフィクションのベストセラー作家です。現在の大阪出身の百田尚樹さんのような感じかもしれません。
この西鶴の辞世の句といわれるのが「浮世の月見過ごしにけり末(すえ)二年」、意訳すると「寿命の50歳をすぎて2年あまり、長く生き過ぎたようだ、いよいよこの世からあばよ」という感じでしょうか。人生は50年というわけです。人生50年というのは300年以上も前の話かというと、そうでもないのです。明治時代の文豪で、髭を蓄えた立派な肖像写真のある夏目漱石は49歳で亡くなっています。
ここで人生50年を簡単に眺めてみると、かつては元服という成人の目安となっていたのが15歳、すると15歳までが出生から成長する扶養期だと思われます。50年から15年を引いて残り35年、その半分は17年か18年です。では、人生の折り返しの歳はというと、15歳に17~18歳を加えた32~33歳ということになります。40歳を過ぎると人生の晩秋という感じです。実際、作家としての西鶴は40代にピークを迎え、現在からは考えられないほど短い時間に集中して作品を残しています。そして、50歳を2年過ぎただけで、老年の域に達したような辞世を残しているわけです。
実は、30~40年前からすでに人生80年ということがよく行政で言われていました。それがいきなり100年まで伸びたというわけですが、実際に人口統計から見ると人生100年ということを前提にしたほうが良いということです。根拠についてはここで詳しく述べませんが、では人生100年をモデル化して考えてみるとどうなるでしょうか。
人生50年のときと同じように、まず出生から扶養期を考えますが、現在では15年ではなく20年としましょう。一方、80歳以上は高齢により扶養されると考えましょう。すると、自立する期間は60年、その半分は30年、人生の折り返しは50歳ということになります。現在、定年が65歳になってきていますが、65歳としても人生後半の30年の半分です。この残り15年をどう過ごすか。
実は、現在の年金受給者にとって、この15年が「長く感じる」とともにうまく対応できていないという感じではないでしょうか。定年になるまでは、週のうち5日働き、2日は休めるという生活習慣だったわけです。それが毎日休んでいるわけですから、ありあまる、あふれるほどの自由時間という感じではないでしょうか。といって、いまさら毎日定時に勤めに出るだけの自信があるわけではありません。
では、これから人生100年にどう向き合っていくのか。