で、最初に就職を許されたのが、証券専門紙「市場新聞社」でした。もし、別の会社が最初に雇ってくれていたら、そちらにお世話になっていたと思います。ということは、この原稿も書いていなかった(笑)。
この世は縁ですねぇ(笑)。
なお、「市場新聞社」って「しじょうしんぶんしゃ」と読み、「株式市場新聞」を発行していた会社なんですが、最初僕は「いちばしんぶんしゃ」と読み、築地市場の新聞を発行している会社と勘違いしていました。でも、当時の僕は株も経済の知識も皆無でしたが、働かせてくれるところならどこでもいいと思い入社しました。
当時の日本経済はまだまだ元気がよく、昭和55年の第二次オイルショックを官民挙げて見事に乗り越え、56年には相場は大きく復活しました。でも、僕がこの業界に入った57年は、56年の上げ相場の反動で突っ込んだ年です。
不思議なことに僕が業界に入ってから、5年ごとにショックが起きています。
入った昭和57年、これから話は平成時代まで続きますので、西暦で書きますが、82年は、前年の反動安、ショック安に見舞われた年でした。その5年後の87年には、史上最大規模の世界的な株価大暴落が起きました。これが有名なブラックマンデーです。
その5年後の92年には、バブル崩壊後の三段下げを演じた年です。ここから日本の慢性デフレの重病が始まったといえます。あれから今年でちょうど20年です。
黄金の60年代を謳歌した後の米国株や商品市況の雌伏も、20年で終わりましたから、そろそろ日本株も生まれ変わってもいいと思うのですが、残念ながら、まだその兆しは見えませんね。
金融危機から3大メガバンク体制へ
で、その5年後の97年。これは98年まで2年間続きましたが、日本の金融危機が勃発しました。北海道拓殖銀行、山一証券など大手金融機関が破たんし、多くの大手都市銀行も破たんの危機に瀕しました。その後、都市銀行間の統合が進み、今の3大メガバンク体制ができるスタート点になりました。
その5年後の03年はITバブル崩壊。90年代以降の安値を更新した年です。
その5年後の08年には、リーマンショック。リーマンショックは前年のサブプライムローン問題に端を発していますから、03年の4年後に当たる07年から危機が始まったともいえます。
サブプライムローン問題とは、信用格付けの低い人、ぶっちゃけた言い方をすれば、お金のない人。こうした人たちにも不動産バブルが続くとの前提で、銀行は住宅ローンをバンバン貸しまくったけど、その前提だった不動産バブルが破裂してしまった。
そのサブプライムローン問題が発生した5年後の今年は、欧州危機の本格化。そして来年13年はリーマンショックから5年後。
4・5年後に2度ショックが起きるパターン
今年で欧州危機が収まり、来年は平穏無事で終わってくれるのか?