報じる「日経ビジネス」(日経BP社/4月23日号)。
「僕はバブルの恩恵を受けたでしょうか?」
ちょっと個人的な話で恐縮ですが、これが前回の宿題です。
「間接的には恩恵を受けたけど、直接的には受けていない」というのが答えですね。
1990年代に入って「さあ、いよいよ僕もバブルの恩恵に浴すぞ」とわくわくしていましたが、それ以降、バブルが崩壊していきました(笑)。
僕がこの業界に入ったのは、昭和57年(1982年)のことです。ちょうど今から30年前ですね。あれから30年か。爺になるはずだ(笑)。僕は原稿を書くとき、平成何年ではなく、西暦何年と西暦を使いますが、昭和時代の話の場合、どうしても昭和何年と書きたくなる。当時も原稿は西暦で書いていたのですが、ノスタルジアを感じてしまい、どうしても昭和を使いたくなる。日本の元気な時代だった郷愁もあるのでしょうね。
さて、今回の講義も脱線、道草をしますか……。
新卒ですぐに証券界に入ったわけではありません。正確には大学中退組ですが、大学をやめて最初にやった仕事は出版社の広告取り。昭和55年、第二次オイルショックに揺れている年でした。
朝7時前に出勤して、帰りは夜の10時、11時。広告取りといってもほぼ飛び込み営業で、学生上がりのペーペーが取れるほど簡単な仕事ではありません。当初はまったく契約が取れず、体重が激減しました。でも、仕事なんてそんなもんだろうと思っていました(無知でした)。
まあ、今でいうブラック企業だったのかもしれませんが、最初にやった仕事がこれでよかったと思っています。なぜなら、その後やった仕事で、これほど過酷なものはなかったからです。
今、ブラック企業に勤めている若者たちよ。若い頃にそうした仕事をしておけば、あとが楽ですよ。別の仕事が楽というつもりはないですが、ブラック仕事よりは楽ですから(笑)。それでも、こうした仕事は肉体的にも精神的にも長続きしないものです。半年間は営業成績最下位記録を更新しましたが、あるとき、ここで辞めたら何をやってもダメと思い、成績が上位になったら辞めようと決意し、目標を達成した1年半後に辞めました。
しかし、その後、就職活動してもなかなか決まらない。プライベートな話ですが、当時新婚でした。今の時代だったら早い結婚ですが、当時はそんなものでした。
新婚で失業者です! 女房は働いていましたから、ヒモみたいなものです。ホント、焦りますよ。
5年ごとのショック