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大塚将司「【小説】巨大新聞社の仮面を剥ぐ 呆れた幹部たちの生態<第1部>」第3回

ウェブ化で傾いた大手新聞、合併にすがる社長同士が密談!?

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「Thinkstock」より

※前回連載はこちら
『社用車で演歌を唸り、ホテルのスイートを定宿にする巨大新聞社長』

【前回までのあらすじ】

ーー巨大新聞社・大都新聞社社長の松野弥介社長は、日頃から新聞は読まず、ホテルのスイートルームを定宿とし、政治家や企業のパーティー三昧の日々を送る。ある夜、松野は馴染みの三流料亭「美松」で、ある人物を待っていた。そこに現れたのは、新聞業界第3位の日亜新聞社社長・村尾倫郎であった。ーー

 今年6月で松野は大都新聞社社長に昇格して6年だが、日亜新聞社の村尾はまだ3年で、社長として後輩である。しかも、村尾は昭和21年(1946年)生まれで、昭和16年生まれの松野の5歳年下の65歳である。会社は違うが、入社年次も昭和45年で、松野より6年後輩だ。

 しかし、社長に昇格したいきさつは少し似ている。不祥事が発覚、本命の社長候補が飛んで、候補としてすら名前の挙がっていなかった村尾が選ばれた。社内外があっと驚く人事で、当時話題になった。松野の場合は、当初本命視されていたのが、外されそうになったところで、「魚転がし事件」が発覚、元の鞘におさまった。村尾と違うと言えば違うが、不祥事の発覚で、社長ポストが転がり込んできた点では同じなのだ。

 それだけではない。村尾の社長昇格に、松野も少なからず絡んでいた。不祥事で引責辞任した日亜前社長(現特別顧問)の富島鉄哉(てつや)は昭和16年生まれ、昭和39年入社で、松野と同い年、同期入社だった。しかも、経済部記者時代に3年間同じ記者クラブに所属していたこともあって、親しくしていた。引責辞任に追い込まれそうになった時、富島は松野に後継者選びで相談していたのだ。

●記者としては中レベル以下の新聞社社長

 現役の記者時代の村尾は、中レベル以下の評価で、持ち前の胡麻すりを武器になんとか中央に残ったが、その時々の人事の都合で、政治部と経済部を行ったり来たりしていた。経済部の時に、松野と接点があってもおかしくなかったが、経済部で1つの記者クラブに1年以上在籍したことはなく、松野との接点はなかった。
 
 しかし、松野と村尾には社長昇格の経緯以外にも似たところがあった。卒業大学は京都の名門私大法学部で同じだった。出身地は松野が和歌山県、村尾が兵庫県と違いはあるものの、実家は山間部の村落にあり、父親が片や村長、片や村会議員で、地元の名士だった。

 松野は村尾の社長就任を喜び、赤坂の高級料亭で就任祝いの席を設けた。以来、2人は月に1回のペースで酒を酌み交わし、情報交換するようになった。最初の2回は一流ホテルのレストランで会食したが、猜疑心の強い村尾が大手2社のトップが頻繁に会っているという噂が出るのはよくない、と言い出した。開けっ広げな松野もまずいと思ったのか、2年半ほど前から、開店休業に近い「美松」で密会を始めた。

『このムダな努力をやめなさい』


生き残りをかけた“安易な”努力

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