ウェブ化で傾いた大手新聞、合併にすがる社長同士が密談!?
2人はすぐに、別々に研究していたネット新聞を共同開発しようと意気投合、1年半前の10月に「ネット版大都新聞」と「日亜ネット新聞」の発刊に踏み切った。しかし、それが誤算だった。紙媒体から電子媒体へのシフトが加速、松野の大都新聞が部数トップの座を滑り落ちかねない状況になってしまった。
「先見性」とか「深謀遠慮」という言葉とまったく無縁な松野の頭の構造は、極めて単純だ。部数トップの座を守るには、どこかと合併してダントツの部数になれば、第2位の国民新聞のことなど気にすることもなくなる、と思った。1年ほど前、可愛がっている村尾に合併を持ちかけたのである。
●いつもと違う部屋
部屋の格子戸が開いて、老女将に案内された村尾が屈むような姿勢で入ってきた。
「よう。村尾君」
身長165cm前後、中肉中背の松野に対し、村尾は身長175cmの長身で、スマートな体型だ。松野が立ち上がって、少し見上げるように出迎えた。
「今な。女将にな、『美松』に芸者を呼べるのか、聞いていたところだ」
「何ですか。それ?」
村尾が松野の前の座椅子に腰を下ろしながら怪訝な顔をした。
「マー(松野)さん、何か、今度、芸者を揚げて村尾さんとお祝いの会をやりたいらしいですよ。なんのお祝いか知りませんけど……。今、お茶をお持ちします」
老女将が笑いながら口を挟み、部屋を出て行った。
「いつもと違う部屋ですね。随分、広いじゃないですか。本当に芸者を揚げるんですか?」
月1回の情報交換は2階の6畳間だったのに、この日は1階の10畳間だったからだ。
「今日じゃないよ。合併の目鼻が完全についたら、ということさ。部屋が広いのは、あと2人呼んでいるだろ。2階じゃ狭いから、1階にしてもらった。8畳間はないんだ」
「そういうことですか」
「でもな、今日、合意するつもりだから、場合によっては次回に呼ぶことだってあるぞ」
格子戸が開き、老女将が入ってきた。松野のお茶を取り替え、村尾にお茶を出した。
「仕出し料理はあと十分ほどで届きますけど、どうします?」
「……ずっとお茶というのもなんだよな。付き出しと前菜を出してもらって、ビールを持ってきてもらうか」
「わかりました。届き次第、出しましょうね」
村尾がうなずくのを見た老女将は部屋を出て行った。
●温度差
「じゃあ、本題だ。来年4月1日対等合併で準備を進めることでいいな」
「準備を進めるのはいいです。でも、最終結論は、もう少し待ってもらえませんか」
「なんだよ。それじゃ、話が違うぞ。前回、ここで、次回までに腹を決める、と約束しただろう。だから、これから事務的な詰めをさせる2人を呼んでいるんじゃないか」
「それはそうですけど、先輩のところと違って、うちはそんな簡単じゃないんです」
「君が社長になってから、社内の掌握術をさんざん伝授したろ。君も『先輩の教えが役に立っています』と言っていたじゃないか。『ゲシュタポ(ナチス・ドイツの国家秘密警察)を重用して不満分子にも目を光らせるのは、うちのほうが上』と自慢までしたぞ」
「それはそうです。だから、準備は進めようと言っているんですよ」
「それなら基本合意でいいじゃないか」
「それはそれでいいですが、最後にひっくり返るリスクがうちにはあるんです」
日亜は発行部数が大都、国民に次ぎ第3位の大手新聞社である。だが、大都、国民の2社とは大きな違いがある。
大都、国民の2社は、戦後、単独で大手の地位を確固たるものにしたが、日亜は昭和45年(1970年)4月1日に合併して発足した新聞社だ。それが違いであり、社長の村尾が「うちはそんな簡単じゃない」と強調する理由だった。
合併したのは日々新聞社と亜細亜経済新聞社だ。合併で社名を日亜新聞社に変更、発行する新聞も「日々新聞」と「亜細亜経済新聞」を統合、「日亜新聞」を発行、経済情報を売り物にし、昭和50年代に急成長した。