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41年ぶりに文系社長が誕生した背景

安倍政権の防衛費増で三菱重工に脚光!?新社長就任で加速する日立との事業統合

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三菱重工の夢と期待を載せるMRJ
(「三菱重工業 HP」より)

 三菱グループの旗艦企業で、41年ぶりに事務系社長が誕生する。三菱重工業は4月1日付で宮永俊一副社長(64)が社長に昇格する。大宮英明社長(66)は代表権のある会長に、佃和夫会長(69)は取締役相談役にそれぞれ就く。

 原動機や航空機などが主力事業の三菱重工は、長年にわたって技術系出身者がトップの座を占めてきた。社長は同社の発祥の地である長崎造船所出身者の指定席ともいわれた時期もあった。しかし、造船が衰退し、航空機が花形部門に。社長のポストも、造船の長崎から航空機の名古屋に移る。

 3代前の社長の西岡喬氏(99.6~03.6)が、初めて航空部門から社長に就任した。東大工学部航空学科卒。名古屋航空宇宙システム製作所所長を務めるなど、航空機一筋だった。続く、佃和夫氏(03.6~08.4)は、東大大学院船用機械工学課程を修了。名古屋機器製作所所長を務めたエンジニアだ。現在の社長の大宮英明氏(08.4~13.3)は東大工学部航空学科卒。戦闘機開発に30年携わり、名古屋航空宇宙システム製作所所長を務めた。西岡氏と同じで、飛行機一筋に歩んできた。

 宮永氏は事務系というだけではない。長崎や名古屋の出身でもなく、出向した子会社の社長から本社に“生還”したという、異色の経歴の持ち主だ。

 宮永氏は福岡県出身。72年東大法卒、三菱重工に入社。初任地は広島製作所(広島市)。圧延設備など製鉄機械の営業を担当した。長い鉄冷えの時代が続き、売上高はピーク時の10分の1の100億円程度に縮小し、苦労の連続だった。

 転機は00年に訪れた。日立製作所と合弁で設立されたエムエイチアイ日立製鉄機械(02年三菱日立製鉄機械に商号変更)に、社長として出向した。「小さな会社の方が自由に動ける」と言い、02年に三菱重工を退職。世界の鉄鋼大手にトップセールスを敢行して、グループ屈指の高収益会社として復活させた。

 その手腕を買われ、佃社長の時代の06年4月、本社に呼び戻され、執行役員、機械・鉄鋼事業本部副事業本部長として復職した。大宮社長の時代に入った08年6月、取締役・常務執行役員に昇格、交通システムや産業機器などを手掛ける機械・鉄鋼事業本部長になる。11年4月、副社長執行役員に昇格。大宮社長の右腕といわれる社長室長となった。

 ポスト大宮として名が挙がっていたのは、宮永俊一副社長と佃嘉章副社長(64)の2人。理系の佃氏は本流の原動機事業本部長などを歴任し、技術部門トップの技術統括本部長に就いている。歴代社長が技術系という慣例に従えば、佃氏の昇格が有力だった。

 だが、大逆転した。

 決め手になったのは、宮永氏が日立製作所との火力発電設備の事業統合をまとめ上げたこと。「交渉役が宮永氏でなかったら、破談になっていた」(関係筋)といわれている。日立との合弁会社、三菱日立製鉄機械の社長として日立出身者の社員から信頼されたことが日立社内での宮永氏の評価を高め、信頼につながったという。宮永氏は今後、日立と事業統合を進めていく上での最適任者ということになる。

 大宮社長の右腕の役割を果たしてきた宮永氏は、10件以上の事業の買収・統合・分社化などで辣腕を振るった。日立との提携に絞っても、10年6月に海外向け鉄道システムの協業、10年7月、日立、三菱電機と水力発電システムの統合をまとめ上げた。そして12年11月、火力発電事業の統合で合意。「3兆円の壁」といわれ、なかなか売上高が3兆円を超えられなかった三菱重工が年商5兆円に駆け上がる突破口を開いた。

 宮永・新社長は、日立との火力発電事業の統合を確実に仕上げなければならない。その先には、日立との鉄道システムの統合が待っている。さらに、原子力発電事業の一体化が視野に入ってくる。

 三菱重工は、トルコが計画する原発の建設に、仏アレバとの連合で受注を目指す。一方、日立は昨年11月、英国の原発事業会社、ホライズンを買収した。三菱重工・日立とも、次のステップとして原子力をどうするかを考えている。両社は事業統合して、原発の海外での建設に本格参入するつもりなのだ。

 航空・宇宙部門が子会社の三菱航空機(名古屋市)で開発を進めている小型ジェット旅客機MRJ(三菱リージョナルジェット)の離陸(テイク・オフ)も重要な経営課題だ。MRJは受注残が1月段階で325機まで積み上がってきており、今後20年で1500機の受注を目指す。MRJは2015年に就航を予定している。