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『「AV女優」の社会学』著者・鈴木涼美氏インタビュー

なぜAV女優たちは饒舌に自らを語るのか~自身を商品化せざるを得ない女性と性産業

構成=本多カツヒロ
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なぜAV女優たちは饒舌に自らを語るのか~自身を商品化せざるを得ない女性と性産業の画像1『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社/鈴木涼美)より
 世のほとんどの男性は一度くらいAVを観たことがあるだろう。そして、AV女優たちが饒舌にVTRやインタビューで語る姿を目にした人も多いはず。しかし彼女たちはなぜ自らを語り、性を商品化するのか。東京に生きるということと、AV女優との関係とは?

 AV女優という存在を通して、東京に生きる女性に迫ったのが『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)だ。今回、著者の鈴木涼美さんに「彼女たちが饒舌に語る理由」、そして「東京で生きる女性」について聞いた。

ーー鈴木さんは現在29歳です。ということは、1990年代以降、援助交際やブルセラなどの性の商品化の議論が盛り上がりましたが、その当時まさに女子高生だったわけですね。

鈴木 私はちょうど99年から2001年まで女子高生だったんです。その頃は、まだブルセラとかが流行っていて、当然のごとく私もまわりも「ブルセラ少女たち」でした。

ーー90年代にはブルセラ少女や援交などに関する本がいろいろと出ました。当事者として、そうした議論をどう感じていましたか?

鈴木 宮台真司(社会学者、首都大学東京教授)さんの女子高生へのフィールドワークによる著作は当時流行っていたし、実際に私も中学、高校時代に読んでいました。確かに面白かったです。ただちょっとおっさん臭いというか(笑)。また私たちを擁護するような女性論者の議論も、いわゆるフェミニスト的な議論も、私たち女子高生からすると「おばさん世代に言われたくない」という気持ちもありました。

ーー当事者からすると、ちょっと感覚的に違ったんですかね。

鈴木 若干の物足りなさを感じていました。例えば、若い世代を論じたもので「ギャルとヤンキー」を一緒にしちゃうような議論がありますよね。私たちからすれば、箸とフォークくらい違うよっていう不満はありましたね。

ーーブルセラ少女は、やはり高校では特別な存在だったんですか?

鈴木 ブルセラに行くのって、普段の学校の日常とまったく断絶された空間ではなくて、極端な言い方をすれば放課後、部活に行くか、ブルセラに行くか、カラオケに行くかくらい並列な感じでした。私の高校のクラスにも一緒にブルセラをしていた女子が4人いて、そのうちの2人はまだ処女でした。だから性的に奔放かとか、不良かとかは関係なかった。ブルセラをする前というのは、多少の壁があるんです。

 でも一度し始め、そうした子たちの中にいると、もう別に非日常的なところではなくなるんです。よくルポであるような、家出少女が仕方がなく売春をするような、逃げ場がない状況に置かれて逃げこむ場所ではなく、日常的に通う場所という雰囲気が、私が女子高生だった頃の印象としてはありましたね。日常的にそうした光景を内包する東京のような街の中では、いわゆる普通の人生から大きく飛躍や脱落をしなくても「性の商品化」に加担できる仕組みは整っていて、その地続きの延長線上の中にAV女優という存在があるように見えました。

 AV女優ってすごく特別な存在に見られがちですけど、東京で生きる女性にとって自らの商品的価値を一度は意識せざるを得ない中で、AVの世界に飛び込むというのは日常と地続きなんじゃないかなと。例えば、女子大生なら女子大生のままAV女優になって、その他の日常はそのまま続いていくという意味では日常と地続きだと思うんです。それは取り立てて強調する部分ではないのかもしれないけど、皆さんそこを忘れていませんか、というのはありますね。

ーーその視点がすごくおもしろいと思いました。そこで大学生活を横浜で過ごす中で、AVのスカウトマンとのつながりもでき、本書を書こうと思ったのでしょうか?

鈴木 私は机に縛り付けられるような大学生活が嫌で、学校にも行っていない時期がありました。でもそんな生活の中で、大学で何かひとつくらい得るものがないとつまらないなと思うようになって。とにかく東京で生きる女子ってパワフルなので、それについて書きたいなと。女子にはマジメ系の女子やお嬢系、CanCam系とかいろんなジャンルがあると思うんですけど、どのジャンルでも当事者としていろいろなことを書けるとは思ったんです。

 ただ、AV女優って有名でメディア露出がある割には学問的に興味を持たれていなかったので、当時AVのスカウトマンと付き合いが始まったこともあり、これだと思いました。そこで断続的ではあるけど、計4~5年AV業界に出入りしました。もともと私は「東京で女として生きることとは、どういうことだろう」ということについて考えたいと思っていたので、たまたま近くにいた存在であるAV女優の行動や仕事のルーティーンワークが、段々変わっていく様はおもしろかったので、これで書こうと。

 ですから、もともと性の商品化であるとか、セックスワークについて興味があったわけではなくて、どちらかといえば、「東京で生きる女」について考える時の突破口としてAV女優があったという感じですね。

なぜ、AV女優のインタビューは面白い?

ーー本書ではAV女優の面接について注目されています。所属プロダクションの面接、メーカーとの契約のための面接、出演するための営業面接、作品の監督との面接と日常的に面接で語ることが求められるわけですね。面接がAV女優をつくるともいえる。他にも、VTRや雑誌などのインタビューで「AV女優になった動機」を聞かれることが多いですよね。一般読者の欲求として、AV女優になることは特別な事情があるのではないかというのがあるのでしょうか?

鈴木 いろいろあると思います。ただ、コンテンツとしてAV女優のインタビューって読んでいておもしろいじゃないですか。もちろんそれはライターさんの書き方もあるとは思いますが、「女たちの語り」がおもしろいんですよ。それを最初に発見したのが誰であれ、おもしろいものだということがまかり通っている部分もあります。

 それから、家出して仕方がなく売春とか、生活のために売春をする女性の話はやはり聞いていて辛いですよね。そういった人たちに比べると、彼女たちが体を売る必然性は世間的にあまり感じない。また彼女たちの場合、語るというほかに、外見的に顔もかわいいので、ホステスやモデルをやっていてもおかしくない。なぜそんな子たちがAVに出ているのかというところに、ドラマを見いだしたい気持ちがあるのではないでしょうか。

ーー彼女たちにとって、日常的に繰り返される面接の役割とはなんでしょうか?

鈴木 ひとつは彼女たちがわかりやすく自分を売り込むチャンスなんです。よほど有名な女優さんは別として、基本的に女優のパッケージ写真はすごくきれいに撮っているのでなかなか峻別できない。ですから当然メーカーや監督、プロダクションの人たちも本人に直接会って面接するんです。最初にAVに出演する時も、メーカーの契約をもらうために面接で自分を売り込むことが必要で、その後も継続的に仕事をしていくためには、よほど有名な女優さんでない限り、面接を受け続けなければ仕事がないんです。

ーー本書の中で、ある女優さんが「しゃべらない子はいない」と発言していますが、彼女たちが饒舌に語る理由とは?

鈴木 ひとつには面接の場で話さないと仕事をもらえないので、就活生と同じような動機で語ることが求められることがあります。ただ、就活生の場合、一生のうちにそうした自分語りや動機語りを求められるのは数カ月ですよね。でも彼女たちの場合、それが日常的で、ほとんどのAV女優は作品に出演しながら営業にまわることも同時にこなしているんですよ。日常的に語る機会が多いと、おもしろくない話では彼女たち自身も飽きてしまう。だからそれなりに起承転結のある、人を惹きつける語り口を当然習得していくわけです。

 また雑誌のインタビューなどを受ける際にも、もちろん面接がインタビューの準備として機能するためにあるわけでないにせよ、いい練習台となり、インタビューやVTRの中で自分について語ることがある程度自然にできるようになる。そうするとまわりのスタッフも聞いてくれるようになるから、語ること自体が楽しくなってきますよね。

ーードキュメンタリータッチのVTRで、監督が女優さんにインタビューしているシーンがありますが、あれは台本とかがあるわけではないんですか?

鈴木 私の知っている限りドラマのワンシーンとして語っている以外は、ほとんどアドリブですよ。もちろん初めのうちはマネージャーさんや監督さんがアドバイスをすることもあります。

ーーそうやってAV女優になった動機や、自分語りをしていくうちに「AV女優になった理由が、AV女優である理由にすり替わる」と指摘されています。

鈴木 どんな仕事でもそうですけど、仕事を続けていくのって大変ですよね。まして性産業だと世間の見方もありますし、親に対して仕事のことを言えないとか、彼氏には言っているけど悪いと思っているとか、友だちには言える子と言えない子がいるとか、いろんなストレスがある程度あるわけです。「私は好きでAVに出ている」などといった、面接で便宜的に使っている理由が本当であれ嘘であれ、そうした自分を肯定する語りが自分自身を奮い立たせたり、仕事を続けていく上での快楽性を出すために作用しているんじゃないかと思います。

ーー快楽性というのは?

鈴木 中毒性ともいえるかも知れませんが、面接でAVに出演している理由を明確に語り続けることによってプライドを保ちやすいというか、中毒性までいかないかもしれませんが、仕事を続けるひとつの理由になる。また、彼女たちは現場ではチヤホヤされるし、撮影会や握手会にはどんなに人気がなくてもファンが来てくれる。そういうことって普通に生きていたらなかなかあることじゃない。さらにいえば、体を売ることって、得てして何かしらの中毒性があると私は思っています。

女性としての商品価値の上げ方

ーー最初に「ブルセラ少女」だったという話が出ました。また本書の中で東京で生きる上で女性が、自らの商品的価値を一度も意識しないことは不可能だとあります。ここは男にはなかなかわかり辛いかもしれません。

鈴木 渋谷とか大きな街を歩くだけで、男の人が私を買いに来る。高校生の時もそうでしたし、今でもAVや風俗のスカウトマンが声を掛けてきます。最近は歳のせいかキャバクラはなくなったんですけど(笑)。わかりやすい例としてはそういうことが毎日のようにあって、その人たちは私の女としての価値を買ってくれるものと見えるじゃないですか。それに引っかかる人もいれば、そうでない人もいますけど。

ーー女性としての商品価値ということに、女性は意識的なんですか?

鈴木 例えば、CanCam系の服装をしている人がどれだけ自覚的かはわかりませんが、男受けする化粧や服、髪型などに投資をして自分を高く見せるということを、すごく自然にやっていますね。女の人って結婚して働くも働かないも自由なところがあって、一生働かないでいられるような高収入の男性と結婚するにはモテる必要がある。女の人のほうが男性より、モテるモテないがお金に関係しやすいと思います。

ーーなるほど、男だと収入が増えるとモテるということはあるかもしれないですね。

鈴木 男の人は年収が増えると高い女を買えるようになる。もちろん話はそんなに単純ではなくて、年収1000万円のブサイクな男より、年収800万円のイケメンのほうがいいという女の人もいる。けれども女の人のほうが頭がいいとか、いい家の娘だとか、気立てがいいとか、そのベクトルが多方向に向きがちで、さらに一番重要なところに可愛さや綺麗さがあると思う。ただそれでも男の人の側からしても、すごく美人だけどバカな女より、やや可愛いくらいでとっても気のきく女のほうがいいという人もいる。

本多カツヒロ

本多カツヒロ

フリーランスライター、ご連絡はbonite396 アットマーク http://gmail.comまで https://note.com/honda52 執筆歴 Forbes JAPAN、Wedge、KAI-YOU Premium、ビジネスジャーナル、FINDERS、週刊実話、書籍での編集協力、オウンドメディア等多数
本多カツヒロ(a.k.a パニック本多)|note

Twitter:@bonite09

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