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誰からも反対されたセブン-イレブン、なぜ成功できた?鈴木敏文会長の直感と現場主義

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セブン-イレブンの店舗(「Wikipedia」より/Magnus Manske)
 筆者がこれまでの人生で後悔していることのひとつに、祖父と生前に十分に話をできなかったことがある。父方の祖父は、筆者が小学校6年生の時に亡くなった。梨農園を営む寡黙な男で、たまに軽トラックに乗せてもらったりしたが、運転席でたばこを吸いながら、黙って運転している姿が印象的だった。

 小学6年生の社会で日本史を学び、第2次世界大戦、そして、戦後の復興を学んだ。その時代を当事者として生き抜いてきた祖父に話を聞きたかったのだが、すでに祖父は病院に入院し、治療を受けていた。なので、先人の体験や経験は、伺えるチャンスがあるならば、それを真摯に受け止め、聞く機会を逃すべきではないと考えている。

百貨店からスーパーへの覇権移行


 セブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文氏が、セブン-イレブンでコンビニエンスストア業態を日本市場に初めて導入したのが1970年代。筆者は当時まだ小学生であり、世の中のことなど何もわかっていなかったが、百貨店からスーパーへの覇権の移行は、自宅の近くにあったダイエーの躍進や店内の活気、満車の駐車場などの記憶で、おぼろげながら覚えている。

 1970年代初頭、流通業界の覇権は百貨店からスーパーに移ろうとしていた。それまで 青果店や鮮魚店、精肉店で食料品を買い求めていた専業主婦が、スーパーですべての買い物を済ませることができる。専業主婦にとって、本当に便利な業態だった。

 高度経済成長期に入っていたものの、当時の日本はまだ貧しかった。なので、スーパーに求められたものは、大量調達とスケールメリットを生かした低価格販売だった。豊富な品ぞろえで大量調達をする。なので、当時のスーパーの成功のカギは、(1)大規模店舗と(2)低価格販売だったわけだ。

 そういうご時世の中、鈴木氏は部下の清水秀雄氏と1971年に渡米。当時、スーパー業界17位のイトーヨーカ堂の事業拡大をもくろみ、米国市場を視察する。しかし、米国流通業の中でもウォルマートのような巨大スーパーマーケットチェーンは、あまりにも規模が違いすぎて参考にならなかった。

理解を得られないコンビニという業態


 そんな中で発見したのが、セブンだった。50坪程度のこぢんまりとした店舗は、日本サイズだった。コンビニという新たな業態に商機を見いだした鈴木氏は、ヨーカ堂経営幹部を説得するが、理解を得られない。

 これは当然であり、前述のとおり当時の流通業の成功のキモは、(1)大規模店舗(2)低価格販売。しかしコンビニの特徴は(1)小規模店舗(2)定価販売。鈴木氏の主張は、当時の流通業の常識の逆をいっていた。