この中に、思い当たるものは、ありませんか?
「頑張っているのに、全然認めてもらえない」「お金がもっと欲しい」「名の通った会社や学校に入りたい」「あの人はお礼もしてくれない」「子供が言うことを聞いてくれない」「上司は俺の気持ちをわかってくれない」「病気がなかなか治らない」…。
そこそこ満足して生活している人でも、何かしら不満な要素はあるはずです。
「でも、本当に不幸だと言えるのでしょうか?」
そう唱えるのは、聖心女子大学・修道院のシスター、鈴木秀子氏。鈴木氏は東京大学の博士課程を修了した文学博士であり、スタンフォード大学で教鞭をとった経験もある人物。世界中にファンを抱え、80歳を過ぎた今も世界の各地で講演活動を行い、人生相談を受けています。
あきらめこそ、とてもポジティブな行為である
鈴木氏によれば、「不幸だと思うのは、『あきらめ』ができていないだけ」とのこと。「あきらめるなんて、なんて後ろ向きな考え方なんだ!」と思うかもしれませんが、「あきらめこそ、人生を賢く生き抜く知恵」と鈴木氏は主張します。
「あきらめる」には「諦める」だけでなく、もう1つ大事な意味が
実は「あきらめる」には2つの意味があるのです。1つは「諦める」。「断念する」というイメージが強いかもしれませんが、「執着しない」という大切な意味を持つのです。
もう1つは「明らめる」。馴染みのない表現かもしれませんが、元々は仏教用語で、「物事を明らかにする」という意味を持ちます。
「諦め」と「明らめ」を上手にする行為を鈴木氏は「聖なるあきらめ」と呼んでおり、その方法を説いたのが『「聖なるあきらめ」が人を成熟させる』(アスコム刊)です。
「諦める」ことでいったん執着を手放せば、望んでいたことが本当に自分にとって必要なのかが再検討できます。また、「明らめる(物事をはっきりさせる)」ことで、最も大事なことが見えてきます。そうなってくると、外見、健康、お金、人間関係など、今現在は不幸だと思うことも、実はそうでもないことも多いのです。
その外見、その健康状態、本当に不幸なの?
例えば、外見にこだわるあまり洋服代やエステ代をつぎこめば、お金がいくらあっても足りません。気分がウキウキするから、モテたいからならば、あまり出費しないかたちで、必要最低限のオシャレをすればいいのです。その分減った出費は、他の趣味、貯金、美味しい物などにまわせば、トータルでの幸せにつながるはずです。
健康やダイエットのために食事制限をする方も多いでしょう。エスカレートし過ぎると、旅先などでも美味しいものが一切食べられなくなり、食事が修行のようになってしまいます。一切シャットアウトするのではなく、大盛りを頼まない、夜12時を過ぎたら食べないくらいにハードルを下げれば、たいていは大きな問題は起きないはず。人間、食べている時は誰でも幸せですから、それを全部禁欲的にする人生は、果たして幸せと言えるのでしょうか?
最終的にどんな状態になるのが一番幸せなのかから考えていけば、今執着することが、実はそんなに重要ではなくなってしまうことも多くなります。それらを上手にあきらめることができる人が、どんな状況でも幸せになれるのです。
『「聖なるあきらめ」が人を成熟させる』で、不幸だと思うことを手放し、幸せをつかんでみませんか?
(新刊JP編集部)