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筈井利人「一刀両断エコノミクス」

GDPは経済の実力を反映しない 膨大な防衛費と無駄な公共事業でかさ上げし放題

文=筈井利人/経済ジャーナリスト
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GDPは経済の実力を反映しない 膨大な防衛費と無駄な公共事業でかさ上げし放題の画像1名目GDPの推移(「内閣府 HP」より)

 代表的な経済指標である国内総生産(GDP)が、あらためて関心を集めている。安倍晋三首相が9月24日の記者会見で、アベノミクス第2ステージの目標として、「GDP600兆円の達成」を掲げたからである。

 GDPとは、国内で1年間に新たに加わった物やサービスの価値の総和を計算したもの。GDPが1年間で伸びた率は、経済成長率と呼ばれる。政府やメディアはいつも、GDPが増えれば日本の経済は明るいとはしゃぎ、GDPが減れば深刻な顔をして景気対策を打つべきだと叫ぶ。

 しかし、そもそもGDPとは、どれほど信頼できるものなのだろうか。本当に経済の豊かさを測る物差しとしてふさわしいのだろうか。

GDPの欠陥

 よくいわれるGDPの欠陥は、主婦の家事労働や日曜大工、ボランティア活動など、新たな価値を生み出すにもかかわらず、市場で取引されないためにGDPに含まれない活動があることだ。だが、じつはもっと大きな問題がある。

 それは、GDPに政府支出が含まれることである。

 GDPに含まれる取引には、政府が行なう「公共サービス」がある。警察、司法、国防、消防、義務教育、インフラ整備などだ。

 民間で生み出される物やサービスの場合、GDPの集計対象となる新たに生み出された価値は、市場で売れた金額を使う。ところが公共サービスの場合は、市場で取引されないため、売れた金額がわからない。

 では、どうするか。そのサービスをつくり出すのにかかった費用を、新たに生み出した価値とみなす。それが政府支出である。

 この考えには、明らかに無理がある。政府の提供するサービスに、それをつくるのにかかった費用と同じだけの価値が本当にあればいいが、現実にはとてもそうはいえない。無駄使いの代名詞とされる公共工事を思い浮かべれば、誰でも気づくはずだ。

 極端な話、多額の費用をかけ、ほとんどなんの役にも立たない巨大なピラミッドを全国のあちこちに建てても、それが政府によってつくられたものであれば、費用がそのままGDPに加算され、経済成長率を押し上げる。しかし、そのようにして達成された経済成長になんの意味があるだろうか。

旧ソ連の事例

 いい例がかつての旧ソ連である。同国のGDPは崩壊直前の1990年時点で、翌年の米中央情報局(CIA)ハンドブックによると、米国の半分もあるとされていた。これはソ連でつくられる商品・サービスの質と量からみて、明らかに経済の現実を反映していなかった。それでもGDPが膨らんだのは、誰も通らない道路、使い物にならない鉄、食べられたものでないパンといった無駄な生産物を加算していたためだ。

 旧ソ連のような社会主義国でなく、資本主義国であっても、政府のサービスに役立たずの代物が多いことに変わりはない。役に立つサービスがまったくないとはいわないが、それでも民間に任せた場合に比べ無駄が多く、割高になっていることは否定できない。

経済の実像を歪める、現在のGDP

 今の人々は、GDPには政府支出が含まれるものと学生の頃から学校で教え込まれており、それが当然だと信じていることだろう。ところが、GDPの仕組みを考案した経済学者自身、政府支出を含めると経済の実像を歪めるとして異を唱えていた。

 サイモン・クズネッツは1971年にノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者である。欧米でGDPが考案され、政府に採用されるようになったのは1930~40年代(当時は国民総生産=GNP)のことだが、クズネッツは考案者の1人だった。

 ただしクズネッツが目指していたのは、単なる生産量ではなく、国民の経済的な豊かさを測定することだった。したがって国民生活を成り立たせる前提にすぎない公共サービスを含めることには懐疑的で、とくに軍事費については除くべきだと主張していた。

 しかしこれには、フランクリン・ローズヴェルト大統領率いる米政府が反対した。当時は第2次世界大戦前夜から戦中にかけての時期で、軍事支出が国の経済を縮小させてしまっては都合が悪かったからだ。結局、作成を担当する商務省により、軍事支出を含むかたちでGNP統計が発表される。

 クズネッツはこれを批判し、「商務省のやり方は、政府支出が経済成長の数字を増大させることを同語反復的に認めているにすぎず、人々の豊かさが向上するかどうかは考慮されていない」と論じた(ダイアン・コイル『GDP』)。

 だがクズネッツは政治的争いに敗北し、彼の主張は無視される。それ以降、米国に限らず、軍事費など政府支出を含むかたちでGDPは算出されている。戦争が終わっても、政府はみずからの出費をGDPから除こうとはしなかった。不況対策として公共事業を増やすのに便利だからである。

 アベノミクスが始まった2013年、政府は13兆円超もの公共事業を補正予算で計上し、これがGDPを押し上げる一因となった。GDPは政府支出を伸ばせば増える仕組みだから、当然である。しかし現実には建設関係など一部の業界を潤しただけで経済効果は長続きせず、GDPの伸びも失速した。

 GDP600兆円の目標をあらためて掲げた安倍政権は、その目標を達成するためと称して、再び公共事業の大盤振る舞いを始めるかもしれない。16年度予算の概算要求で、防衛費要求額は過去最大の5兆911億円に膨らんだ。これらの政府支出はたしかにGDPを増やすことだろう。

 しかしそれが経済の繁栄を意味するかどうかは、別問題である。
(文=筈井利人/経済ジャーナリスト)

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