非上場ながら高い知名度
白元の創業は1923(大正12)年。泉氏がナフタリン防虫剤の製造をはじめた鎌田商会がルーツだ。戦後の50年に株式会社に改組した後、72年に商品名の白元に商号を変更した。防虫・防臭で事業を拡大させ、衣服用防虫剤「パラゾール」をはじめ冷蔵庫用脱臭剤「ノンスメル」、使い捨てカイロ「ホッカイロ」、衣服用防虫剤「ミセスロイド」、保冷枕「アイスノン」など息の長いヒット商品を次々と生み出し、非上場ながら知名度は高かった。
その泉氏の孫である真氏は、慶應義塾大学経済学部を卒業して第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。日比谷支店勤務などを経験したが、91年に白元に入社した。96年には米ハーバード大学ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得した後、98年に白元の取締役マーケティング部長に就任。ゴキブリを泡で包み殺す「ゴキパオ」、レンジで温める湯たんぽ「ゆたぽん」などのヒット商品を世に出した。常務取締役、副社長を経て2006年4月に社長に就任した。
00年に大正製薬から家庭向け殺虫剤「ワイパア」ブランドの営業権を取得し、殺虫剤事業にも参入。社長に就いた真氏はM&A(合併・買収)で医療衛生品や入浴剤メーカーを傘下に収め、防虫剤メーカーから総合日用品メーカーへと脱皮を図った。10年3月期には売り上げ332億3700万円を計上している。株式公開を目指した時期もあった。
ずさんな財務
だが近年は、主力の防虫剤市場でエステー(東証1部上場、鈴木喬会長)に押されるなど競争激化で業績が伸び悩み、財務状態が悪化した。13年3月期には保冷剤部門の猛暑による在庫不足に加え、他社の新規参入の影響もあって大幅な減収になり、売上高は304億8600万円に落ち込んだ。この結果、3億6900万円の赤字となった。
再建を目指して13年5月、住友化学に対し第三者割当増資を実施。住友化学は白元株式の19.5%を保有する筆頭株主となった。経営再建策の一環として今年1月、使い捨てカイロ「ホッカイロ」の国内販売事業を医薬品メーカーの興和(名古屋市)に譲渡した。この事業譲渡に先立ち、興和から売掛金や在庫を担保に譲渡代金の一部を前借りしていたことが判明。資金繰りに追われる実態が明らかになった。
相前後して同社のずさんな経理処理が発覚した。東京商工リサーチによると、決算内容に信憑性の問題が浮上したのに伴い、取引金融機関と支援策について協議を重ね、金融機関に14年3月末から6月末まで借入金の返済猶予を要請していたという。5月には監査法人によるデュー・デリジェンス(財務内容の審査)が行われる事態となった。産業再生機構の元COO(最高執行責任者)の冨山和彦氏が率いる経営共創基盤が再生計画を策定し、銀行団との交渉を引き受ける案も浮上したが、経理処理があまりにすざんだったため、手を引いたとみられている。結局、金融機関との再建案がまとまらず民事再生法申請による会社再建を目指すことになった。
白元の破綻を受けて、百十四銀行(本店・香川県高松市)が債権の取り立て不能の恐れがあると発表した。債権の内訳は、貸出金が36億8800万円。百十四リースを通じたリース債権が2億9100万円の合計39億7900万円。債権のうち担保保全されていない14億円分については15年3月期決算の第1四半期(4~6月期)に引当金(損金)処理を行う。
東京に本社を置く白元のメインバンクが四国の百十四銀行というのは、かなり異例だ。その背景には、首都圏の銀行が真氏の交友関係を懸念して、距離を置いていたという事情があるという。例えば、真氏は07年には一部週刊誌で、テレビ朝日アナウンサーの丸川珠代氏(当時、現参院議員)との交際が報じられることもあった。「銀行は世襲経営者がタレントと派手に遊び回ることを最も嫌う。だから首都圏の銀行は白元との取引から逃げた」(信用調査会社の元幹部)といわれている。
あおりを受けた住友化学
白元の経営破綻で損害を被ったのが、住友化学だ。住友化学は13年5月、第三者割当増資により白元の株式を19.5%取得して、筆頭株主になった。ところが、わずか1年で経営が破綻。出資金19億円をドブに捨てた格好だ。
「出資する場合は会社の信用度、財務力など入念なデュー・デリジェンスを行うのが普通だ。住友化学はいったい、どんな資産査定を行ったのか。こんな手抜きが起きるのは、すべてに米倉弘昌会長の顔色をうかがう企業体質に問題があるのではないのか」(外資系証券会社アナリスト)
6月に開催予定の住友化学の株主総会では、白元への出資問題をめぐり、米倉会長(6月24日付で相談役)ら経営陣へ厳しい追及がなされるとの見方が広まっている。
(文=編集部)