三菱グループのなかでも多大なる影響力を誇る三菱重工業・三菱UFJ銀行・三菱商事の3社は、三菱御三家とも称される。その影響力は絶大だ。三菱グループは、三井・住友といった財閥系では新興でありながら、“組織の三菱”とされ、結束力が堅いことでも知られる。
三菱グループの中核をなすのは、三菱金曜会と呼ばれる三菱系列企業の会長・社長による懇親会に参加している主要27社だ。その金曜会のなかでも、三菱重工は絶対的な存在として権勢を振るってきた。三菱重工は祖業の造船業を軸にして、軍事産業や原発・火力発電などの事業を展開してきた。その規模もさることながら、三菱重工の“仕事”は、国家に欠かせない事業、というよりも国家そのものだった。
三菱グループ内では「三菱は国家なり」という言葉がある。これは「三菱は私利私欲ではなく、国家のために働く」という企業理念を表しているが、その半面で「三菱が国家を支えている」という強い自負の表れでもある。こうした言葉からも三菱の独尊ぶりは窺える。しかし、この言葉は正確ではない。「三菱は国家なり」なのではなく、実体は「三菱重工は国家なり」なのだ。
「三菱重工は、グループ内では絶対的な権力を握る“長男”という扱い。それだけにプライドは高い。2000年代までグループのリーダーたる実力を備えていた。最近は、プライドばかり高い“扱いづらい長男坊”と揶揄されている状態です」(経済誌記者)
そんな国家を裏で支える巨大な力を持つ大企業が今、大きく揺れている。三菱重工が手掛けている事業が、軒並み不振に喘いでいるのだ。
三菱重工本体にも不振の影
三菱重工は1970年に絶頂期を迎え、その後も長期にわたって我が世の春を謳歌していた。しかし、2016年に子会社の三菱自動車で燃費データ不正が発覚。三菱自はたびたび不祥事を起こし、そのたびに三菱重工は尻拭いをさせられてきた。そこには三菱の長男坊であるがゆえの責任感もあっただろうが、なによりも三菱自は三菱重工が1970年に一部門を分離独立させた会社だという側面も影響している。
三菱重工の“直系子孫”でもある三菱自の親会社は、当然ながら三菱重工。三菱自の凋落は、三菱重工の凋落でもある。
三菱重工を揺るがしているのは、三菱自動車だけではない。三菱航空機もだ。YS-11以来途絶えていた国産旅客機の開発製造を期待されて2008年に設立した子会社・三菱航空機は、三菱リージョナルジェット(MRJ)を同年にロールアウト(報道公開)した。それまでにもMRJは長い雌伏の期間があった。それを経済誌ではたびたび揶揄されている。