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“旧皇族”竹田恒和・JOC会長は天皇家の“遠い遠い親戚”だった?

文=菊地浩之
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“旧皇族”竹田恒和・JOC会長は天皇家の“遠い遠い親戚”だった?の画像2伏見宮家と天皇家との系図(霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修 旧華族家系大成』、太田 亮『系図綱要』などより作成)

伏見宮家は住友家より天皇家から遠い

 皇族というからには天皇家と血縁関係があるのだが、では実際のところ、どの天皇から分かれたのかというと……

・閑院宮家 :初代・直仁親王は東山天皇(113代、在位:1687〜1709年)の子
・有栖川宮家:初代・好仁親王は後陽成天皇(107代、在位:1586〜1611年)の子
・桂宮家  :初代・智仁親王は後陽成天皇(107代)の弟
・伏見宮家 :初代・栄仁親王は後伏見天皇(93代、在位:1298〜1301年)の曾孫

 もっとも天皇家に近い閑院宮家ですら、江戸時代中期に分かれた家系である。明治天皇とほぼ同世代の閑院宮愛仁(なるひと)親王は、明治天皇から見て曾祖父の兄の孫。父の又従兄弟だ。

 もっとも遠い伏見宮家は室町時代初期、今から700年前に分かれた家柄である。明治天皇から見て15代前の……。皇族というからには、天皇家の親族・近親なのだと思いきや、具体的な関係を説明するのも面倒な、遠い遠い親戚というべきであろう。

 その一方、旧皇族よりも天皇家に近い家系もある。

 有栖川宮家の初代・好仁親王の母親は、関白・近衛前久(このえ・さきひさ)の娘。近衛家に嗣子がいなかったので、同母兄・近衛信尋(のぶひろ)が近衛家の養子となった。その直系の子孫が戦前の総理大臣・近衛文麿である。今では元総理大臣・細川護煕(もりひろ)の外祖父といったほうがわかりやすいかもしれない。ちなみに護煕の弟・近衛忠煇(ただてる)が近衛家の養子に入っている。

 閑院宮家の初代・直仁親王の3男も摂関家の養子となり、鷹司輔平(たかつかさ・すけひら)を名乗った。輔平の曾孫・徳大寺公純(とくだいじ・きんいと)の次男が、戦前の総理大臣・西薗寺公望(さいおんじ・きんもち)、6男が住友吉左衛門友純(すみとも・きちざえもん・ともいと)である。

 摂関家の養子になったので皇族にはならなかったが、実は近衛文麿、西薗寺公望、そして住友家の当主のほうが、伏見宮家の皇族に比べれば、よっぽど天皇家に近い血筋だったのである。

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