政府は1日、5月1日から利用される新元号を「令和」と発表した。「令和」は日本最古の歌集「万葉集」から取られたといい、安倍晋三首相は記者会見で「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ意味が込められている」と強調した。
今回、元号としては初めて国書からとられたことも話題を呼んでいるが、「令和」に込められた意味について、麗澤大学教授で皇室制度に詳しい八木秀次氏に解説してもらった。
平和への願い
出典が漢籍でなく、『万葉集』の中の漢文であったことに意外の感がした。専門家でも予想できた人はいなかっただろう。「令和」は響きもよく、出典全体の意味を考えると凛として華やかな印象を持つ。
出典となった『万葉集』巻五の「梅花の歌三十二首」の序文として書かれた漢文は、天平2年(730年)正月(旧暦)13日、九州・大宰府の長官、大伴旅人の屋敷で梅の花を愛でる宴会が開かれた際の様子を描いたものだ。「春の非常によい月になった。空気がよく、風が和らいでいる」という意味の部分から採用された。
「風が和らいでいる」のは春の訪れだけが理由ではない。西暦663年、日本は百済を助けるため、唐・新羅の連合軍と戦い、敗れた(白村江の戦い)。国家存亡の危機が訪れた。国土防衛のため、遠くは東国(現在の関東地方)からも多くの若者が九州北部に派遣された。防人だ。その諸国からの防人が天平2年9月(旧暦)に停止された。国際情勢が変わり、外患が少なくなり、必要がなくなったからだ。大宰府は防人を統括した。その大宰府で穏やかで文化豊かな宴会が開かれたのだ。
新元号がこの序文を出典としたのは、当時の状況とも重なる現在の東アジア情勢を踏まえ、外患がなくなり、平和が訪れ、薫り高い文化が花咲く、そういう時代になってほしいとの願いが込められているように思う。