PCB廃棄物の山を、耐震工事で「恒久施設」に
PCB(ポリ塩化ビフェニル)廃棄物特別措置法および政令によれば、猛毒のPCB廃棄物は2027年3月末までに無害化処理を終えなければならないことになっている。だが、詭弁を弄して同特措法の適用から除外されているPCB廃棄物がある。兵庫県高砂市の高砂西港にあるPCBの山(約5ヘクタール、高さ約5メートル)のことだ。地元の高砂市では「盛り土」(もりど)あるいは「盛立地」(もりたてち)などと呼ばれている。
その盛立地は1970年代、高砂西港内の海底土砂(底質土砂)が高濃度のPCBで汚染されていることが明らかになった際、海底の汚染土砂を浚渫(しゅんせつ)して陸上に揚げ、固めた後、その表面をアスファルトで覆い、法面(のりめん)には覆土して芝を張るなどしたものだ【写真1、2】。
PCBによる環境汚染を発生させた原因企業は、鐘淵化学工業(現在のカネカ。本社・大阪市)と三菱製紙(本社・東京都墨田区)である。従ってこの工事は両社が実施した。ただ、文字どおり“盛り立てた”だけで、PCBの無害化処理は一切行なわれていない。盛立地を所管している兵庫県庁の水大気課によると、「あれは浚渫土砂なので、PCB廃棄物ではない」のだという。政令で定める2027年3月末の処理期限までに、あの山を片付けなくていいのかと訊ねると、
「(同特措法が規定する)廃棄物ではないので(問題ない)。恒久施設として、カネカが費用を負担してマグニチュード9にも耐えられるよう耐震工事した。平成26(2014)年5月に工事は完了している」(水大気課)
とのこと。PCBの山は同特措法の例外扱いにされ、公害事件の負のモニュメントとして、港のほとりで半永久的にそびえ立ち続けるらしい。津波の際には「避難所」として利用されるかもしれないそうだ【写真3】。
しかし、大地震には耐えられたとしても、大津波にも耐えられるものだろうか。2011年3月の東日本大震災の際、大津波で木っ端みじんに破壊された東北地方の大堤防の光景が、脳裏に浮かんだ。
油症被害の体に今も残る「カネカ印」のPCB
PCBは戦後の日本で、トランス(変圧器)やコンデンサ(蓄電器)、ノンカーボン紙(感圧複写紙)、家庭や学校の蛍光灯など、生活の隅々で利用されてきた。無毒だと思われていたからである。猛毒性が明らかになった1970年代にPCBの生産、輸入、使用が禁止されたものの、当時はPCBを無害化処理する技術がなく、PCB入り製品の所有者(購入者)が厳重に保管しておくこととされた。