
日産自動車取締役会での西川廣人前社長“解任”にはさまざまな説がある。経済産業省の関係者は言う。
「現在、“ポスト・西川”の有力候補の一人に挙がっている、日商岩井(現双日)出身の内田誠・専務執行役員がルノーにすり寄り、西川切りの多数派工作を仕掛けた。外国人取締役と井原慶子(社外取締役)をまとめて、西川を追い落とした」
日産の若手幹部は語る。
「内田は西川と負けず劣らず社内で人望がない。内田がトップになれば(日産の)技術屋のキーマンの多くは辞める。人望だけでいったら関潤のほうがましだ」
関潤専務執行役員は現在、経営再建(パフォーマンスリカバリー)担当。防衛大学校出身という異色の経歴の持ち主だ。中国での現地生産プロジェクトを率いて成功させた実績がある。日産の経営陣の動きを熟知する人物は、匿名を条件に西川解任の舞台裏を明かす。
「西川は、経営陣の思い切った若返りを胸に秘めていた。それに反発した山内康裕最高執行責任者(COO、西川退任後にCEO代行)が西川切りに動いた」
これがもし本当だとすれば、カルロス・ゴーン元会長を捨てた西川が、今度は自分が詰め腹を切らされたことになる。因果は巡る、とはよくいったものだ。
「“ポスト・西川”の10人の候補のなかに関や内田を入れたのも山内。山内自身が社長になるか、会長になって関や内田をコントロールする“二人羽織”政権を考えている」(同)
二人羽織とは袖に手を通さず羽織を着た人の後ろから、もう一人が羽織の中に入って、袖に手を通し、前の人に物を食べさせたりする芸。操り人形(パペット)の寄席版といったら、わかっていただけるだろうか。
西川が経営陣の大幅な若返りを図ろうとしていた真意はわからない。日産の将来のことを考えていたのか。それとも自身の影響を残そうとしたのか。前者なら、西川も日産の危機的状況をなんとか打開したいと切望していたことになる。機会があったら、西川本人から彼が描いた“人事構想”を聞きたい。