
新聞の「首相動静」欄によれば、安倍晋三首相は7月3日夜、葛西敬之・JR東海名誉会長と、東京・赤坂の日本料理店で食事をした。この5年間の同欄を見ると、葛西氏とは年に3回から5回、食事を共にしている、首相の“メシ友”の1人だ。首相と葛西氏の会食は、北村滋・国家安全保障局長、もしくは古森重隆・富士フイルムホールディングス会長が一緒のことが多いが、この日は北村氏が同席していた。
この席で、リニア中央新幹線建設工事のことは、当然話題になっただろう。
国家プロジェクト化したリニア建設
JR側にとって悩みの種は、南アルプストンネルの静岡工区(8.9キロ)。大井川の水量減少を懸念する静岡県が着工に同意せず、工期が遅れている。6月26日にJR東海の金子慎社長と静岡県の川勝平太知事が初会談したが物別れに終わり、首相と葛西氏の会食のあった7月3日には、県が文書で「作業開始は認められない」と通告した。これで、2027年に品川―名古屋間、早ければ37年に大阪までの全線を開業させるというJR東海が立てた予定は、実現が難しくなった。
安倍首相は、これにどんな反応を示したのだろうか。
リニア新幹線は、JR東海の事業であると同時に、政府が後押しする国家的プロジェクトでもある。安倍首相の音頭によって、3兆円を無担保超低利で貸し付け、30年間は元本返済猶予という財政投融資を活用することが可能となった。JRの当初の予定では、大阪までの延伸開通は2045年の予定だったが、現政権の支援でそれが早まることになったのだ。
2016年1月に行った施政方針演説で、安倍首相は「リニア中央新幹線が本格着工しました。東京と大阪を1時間で結ぶ夢の超特急。最先端技術の結晶です」と期待を語った。記者会見でも、「新たな低利貸付制度によって21世紀型のインフラを整備する」と述べ、「リニア中央新幹線の計画前倒し、整備新幹線の建設加速によって全国をひとつの経済圏に統合する地方創生回廊をできるだけ早く作り上げる」(同年6月1日)と強い意欲を語った。リニアに対する安倍首相の期待の高さが、言葉の端々からうかがえる。
また、リニアの技術輸出は、安倍首相が力を入れるインフラ輸出の中核ともいえる存在だ。米ワシントン-ボルティモア間で、JR東海のリニアモーターカーを導入するプランも上がっているが、日本での開業計画が遅れれば、海外への売り込みの予定も狂ってくる可能性がある。
懸案の静岡工区は、品川-名古屋間全長286キロの工区の約3%にすぎない。その着工遅れで、この大プロジェクトの実施が遅れることに、ネット上では「静岡県がゴネている」との非難の声が上がっているが、果たしてそうなのだろうか。
地元の懸念とJR東海の不誠実
同県が一貫して訴えているのは、工事によって、県民の生活を支えている大井川の水量が減少するのではないか、という懸念であり、そうした事態を避けるための対策の必要性だ。
問題となっている南アルプストンネルは、大井川の真下を通り、大量の水を含む破砕帯を掘り進めて作られることになる。その工事の過程で、どこから、どれだけの水が出るかは、実際にやってみなければわからない。
このため、営業中の東海道新幹線の直下を掘って新駅を作る品川、名古屋両ターミナル駅の建設と並び、南アルプストンネルは歴史的な超難工事といわれている。
JRは、これらの難工事について、事前に特定のゼネコンに工法を研究させ、技術開発も行わせてきた。費用はゼネコン持ち。それを請け負ったゼネコンは、当然工事も受注するつもりでいたところ、実際に業者の選定をする段階になってJR側がとったのは、技術的評価が低い、ほとんど値段のみで業者を選定する方式での指名競争入札だった。このため、事前検討を行ってきたゼネコンが契約を確実にし、技術的な検討を行っていないゼネコンは万が一にもこんな難工事を落札しないよう、各社の担当者が事前に見積もり価格を教え合い、それが談合として刑事事件に発展する事態も起きている。
南アルプストンネル静岡工区について、JR側は、湧水はポンプアップして大井川に流し「湧水は全量を大井川に流す」と県側に説明している。しかし、破砕帯の水の流れが工事によってどう変わるのかは、予測がつかない。
静岡県が水の心配をするのは、工事によって水涸れが起きた事例がいくつもあるからだ。