抗議の声相次ぐ「検察庁法改正案」…問題だらけ、不要不急の定年延長は即刻撤回すべき
検察官の定年を段階的に65歳へと引き上げる検察庁法改正案が衆院内閣委員会で審議入りした。主要野党が、森雅子法相の委員会出席を求めていたが、与党側は拒否。それに抗議して立憲民主党などの統一会派と共産党が委員会を欠席するなか、自民、公明、日本維新の会のみで質疑を強行した。
政府は現行法の解釈変更という荒技で、黒川弘務・東京高検検事長の定年延長を行ったが、今回の法改正は、この解釈変更を追認するものでもある。各地の弁護士会などが、強く反発。週末には、この法案に反対する多くの人々が、ツイッター上で「#検察庁法改正案に抗議します」などの声を上げた。
検察官が一般公務員と異なる理由
少子高齢化がますます進み、年金の支給開始年齢も引き上げられるなか、公務員の定年を延長することについては、理解はできる。問題は、そのやり方の問題だ。
現在の検察官の定年は、検察庁法で以下の条文で定められている。
〈第22条 検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する〉
ここには、誰の、なんの恣意も入り込みようがない。年齢がその年に到達すれば、退官ということだ。黒川検事長の件が起きるまで、定年延長された検事はいない。
今回の法案によれば、検事総長以外の検察官の定年が65歳に引き上げられる。ただし、現在の定年である63歳になると、検事正(地検のトップ)、高検の検事長(高検のトップ)、最高検の次長検事(検事総長に次ぐナンバー2)といった幹部職には就けない。いわゆる「ヒラ検事」に降格人事となる。
ところが、「内閣」や「法務大臣」が認めた場合は、その地位にとどまることができる、というのだ。
幹部職とヒラでは報酬も大きく異なる。「余人をもって代えがたし」といえば格好がいいが、要するに、時の政権の覚えがめでたければ幹部にとどまることができ、そうでなければ冷や飯食いを強いられる。これでは、政権の顔色をうかがう検察幹部が出てきてもおかしくない。
安倍政権は、これまでも内閣法制局次長だった横畠裕介氏や近藤正春氏の定年を延長して局長に就かせたり、防衛省前統合幕僚長の河野克俊氏の定年は3度も延長したりしている。
ただ、検察官の定年延長はそれとは性格を異にする。
なぜなら、検察官は総理やその周辺の者さえ刑事訴追するだけの権限を持っており、それだけに独立性や政治的な中立性が求められるからだ。国会議員を逮捕するとなれば、地検、高検のトップの決裁だけでなく、最高検の指揮も得ることになる。そういう幹部たちが、時の政権に気に入られるかどうかでその処遇が大きく異なり、そのために政権の顔色をうかがうようでは、公正な捜査は期待できなくなる。
現在も、自民党の河井案里参議院議員の陣営による選挙違反事件が、広島地検と東京地検特捜部によって捜査中だ。昨年4月頃に県議会議員や市議会議員に金を配っていたのが買収に当たる、と検察側は見ている。ゴールデンウイーク中にも夫妻の事情聴取を行った、と報じられている。
河井案里氏は、昨年3月13日に自民党の公認を得て、同月20日に立候補を表明。党から他の候補者の10倍に当たる1億5000万円の資金が振り込まれ、官邸と党本部は案里氏を強力にバックアップ。安倍首相は自身の秘書を広島入りさせ、菅義偉官房長官も何度も応援に駆けつけた。いわば安倍政権肝いりの立候補者が、当選のために金をばらまいていた疑いが持たれているという事件だ。
案里氏の秘書はすでに、車上運動員(いわゆるウグイス嬢)に法律で定められている以上の報酬を支払った件で起訴され、裁判が始まっている。
黒川氏の定年延長は、そういう事件の捜査の最中に行われた。官邸は、黒川氏を検事総長に据えるつもりだとする見方がもっぱらだ。
もっとも、黒川検事総長になったからといって、現実の捜査に影響が出るかどうかはわからない。けれども、すでに影響が出ている、という見方もある。事件を潰されるのではないかとの噂が立ち、それが黒川検事総長就任以前に立件しようという現場の焦りを生み、現金受取を否認する者に無理な取り調べを行い自白を迫っているのではないか、という指摘だ。また、捜査が期待したような展開に進まず、先細りとなれば、(実際にどうだったかはともかく)多くの人が政治的な圧力によって阻まれた、と考えるだろう。
実際に影響が証明されずとも、こうした憶測が出回ること自体、決して望ましいことではない。
検察に求められる政治的中立性と独立性
かつて、東京地検があるビルの入り口に置かれた「検察庁」と刻まれた石碑に、黄色いペンキがぶちまけられた事件があった。
東京地検特捜部が捜査をしていた東京佐川急便事件で、当時「政界のドン」と呼ばれた金丸信・自民党副総裁が5億円ものヤミ献金を受けていたことが発覚したのに、逮捕どころか事情聴取すら受けずに、略式裁判で罰金20万円で済まされたことへの抗議だった。
当時の国民は、政治家への配慮、いわば政治権力に対する忖度が不公正な捜査を招いている、と憤慨していた。東京地検には抗議の電話や投書が殺到。検察幹部からも、公然と批判の声が出た。検察への信頼は、大きく傷ついた。黄色ペンキ事件は、その象徴だ。
検察の政治的中立性と独立性は、単にそれが守られているだけでなく、国民から見てそれが実感できるものでなければならない。政府に忖度して政権の関係者には甘く、一般国民には厳しい対応をするという疑念を持たれたら、検察への信頼は揺らぎ、それは司法への不信につながる。
最近、アメリカでこんな事例があった。司法省が、トランプ政権の発足当初、安全保障問題担当の大統領補佐官を務めたマイケル・フリン被告の訴追を取り下げると発表したのだ。
フリン氏は、2016年の大統領選にロシアが介入した疑惑を調べていた米連邦捜査局(FBI)の事情聴取を受けた際、ロシア外交官との協議について、虚偽の供述をしたとして、捜査対象になった。17年12月に訴追され、捜査協力に転じた。罪を認める代わりに、量刑を軽くしたり、他の罪での訴追をしない司法取引が行われたと見られる。法廷でも当初は罪を認めたが、その後否認に転じた。
トランプ大統領は、捜査当局によるロシア疑惑の捜査を「魔女狩り」と公然と批判し、露骨に圧力をかけ続けた。それでも捜査が止まらないことにいらだち、司法長官のジェフ・セッションズ氏を非難して、更迭。ウィリアム・バー氏を後任の司法長官に据えた。
今年に入ってから、バー司法長官はフリン氏の事件について、捜査や公判の見直しを命じ、新たな担当検事を任命していた。フリン氏側も、捜査の不当性を主張した。トランプ大統領は、3月に恩赦を検討していると表明していた。
今回の起訴取り下げについてトランプ大統領は、「(フリン氏は)オバマ前政権によって標的にされた。(私を)大統領から引きずり下ろすために狙われた」などとして司法省の判断を歓迎。捜査当局を非難した。今後の大統領選でも、起訴取り下げを利用するものと見られている。
一方、民主党側は、政治的圧力によって司法の公正性がゆがめられたと強く批判した。
トランプ大統領の盟友だったロジャー・ストーン被告の裁判でも、検察側は当初禁錮7~9年を求刑していたのに、トランプ大統領がツイッターでこれを強く非難。後に検察は求刑を引き下げ、司法省内部からバー長官に対して抗議がなされる事態もあった。
このような政権の検察への介入は、政権の熱烈な支持者には歓迎されるだろうが、それ以外の国民の司法への信頼を損なう。
「不急」の法案、やり方も姑息
今回の法案が成立すれば、トランプ政権のようにあからさまな形ではなくても、政権が人事を通じて、検察に影響力を行使することが可能になる。特に長期政権の場合は、その影響力は大きい。検察の中立性や独立性が損なわれる懸念は、非常に深刻といわざるを得ない。
しかも、通常の国家公務員の定年延長の法案に、異論の大きい検察官の定年延長を汲み込んだ法案にして、法務委員会での審議や法務大臣への質問の機会も奪って、一気に通してしまおうというやり方も姑息だ。
このような問題があるうえ、現在は、新型コロナウイルスを巡る問題で、さまざまな経済対策や人々の生活を支える施策を、最優先で与野党挙げてやっていかなければならない時期だ。
そんな時期に、ごり押しをしなければならないほど、検察官の定年延長は国民にとって急ぎの用件ではない。
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、ということで、国民は「不要不急」の外出を控えるよう、おカミから繰り返し要請がなされている。1人ひとりにとっては「重要」な事柄でも、「火急」の用でなければ、「不要不急」の範疇に組み入れられ、がまんさせられてきた。
なのになぜ、政府はこのような「不急」の法案をしゃにむに通そうとするのか。この政権は、モノゴトの優先順位をまったく間違っているとしかいいようがない。
政府は、法案を一度引っ込め、検察官の定年延長については、政権の恣意的判断が入らないような形にして、法務委員会に出し直し、法務大臣も出席して、きちんと議論すべきだ。