新型コロナ対策「安全・安心」と「プライバシー保護」の適切なバランスは…江川紹子の考察
新型コロナウイルスの問題で、私たちは今まで以上に「考える」ことを必要としている。
たとえば、日々のさまざまな活動は、優先順位や重要度を1つひとつ熟慮して行うよう、求められる。これまで漫然と行っていたものを、必要性を吟味し、他の手段に代替可能かなど、いちいち考えなければならない。それは負担でもあるが、これまでの行動を見直す機会、と前向きにとらえることもできるだろう。
感染経路不明件数が急増した背景
今考えるべき事柄の中で、喫緊の課題の1つに、「安全・安心」と「個人情報やプライバシー保護」のバランスをどうするか、という問題がある。あるいは、今回のような有事にあって、公益と私権のせめぎ合いをどう考えるか、といってもいい。
これまで日本は、感染者が見つかると、濃厚接触者などをたどってクラスター(集団感染)を発見して封じ込め、さらなる感染を防いでいくという対策を展開してきた。それは、感染拡大抑制や限られた医療資源の有効活用という点で一定の効果があったと思われる。
ただ、このところ、感染源がわからない事例が急増。最近、専門家の口からも「リンクの追えない孤発例」という言葉が発せられている。
その理由は、感染者の総数が増え、つながりを追っていく作業をする作業が間に合わない、というのも一因だろうが、それだけではない。都会ではナイトクラブやキャバクラなど、夜の街における「接待を伴う飲食」の場での感染が疑われる例で調査チームが苦労している、という。客が訪れたことを認めなかったり、店の関係者が「迷惑がかかる」などとして、調査に協力しないケースがあるからだ。
飲食店やライブハウス、カラオケなどの店を舞台にクラスターが発生したと思われる場合でも、「店側の同意が得られていない」という事情で、店名が公表されるケースは限られている。
店名が公表されれば、調査は迅速に進み、さらなる感染防止に役立つ。大阪や北海道では、同意を得てライブバーの店名を公表し、それがクラスターの早期把握につながった、と報じられている。
感染症法は、都道府県知事に感染症の調査に関する権限を与えたうえで、こう定めている。
「厚生労働大臣及び都道府県知事は……(同法の)規定により収集した感染症に関する情報について分析を行い、感染症の発生の状況、動向及び原因に関する情報並びに当該感染症の予防及び治療に必要な情報を新聞、放送、インターネットその他適切な方法により積極的に公表しなければならない」(同法第16条)
同時に、同条2項では、「公表するに当たっては、個人情報の保護に留意しなければならない」とも定めている。この条項から、各知事は「同意がなければ店名などは公表できない」と判断しているようだ。
死亡者の公表についても、遺族の同意が得られないとして、情報を伏せるケースが相次いでいる。東京都が発表する情報は、「年代」「性別」「居住地」「診断日」「死亡日」の5項目だが、「居住地」は「都内」と記載されている場合もあるが、多くは記入がなく、「診断日」も無記載が多い。さらには、年代や性別すら書かれていない場合もある。
どこで、どういう年齢層や性別の人が重症化し、亡くなっているかは、社会にとって大事な情報だと思うし、それだけで個人が特定されるものでもないだろう。しかし、日本では公衆衛生の危機という状況でも、「個人情報」や「プライバシー」が重視される。
やまない“感染者バッシング”
ネット社会となってから、個人情報の断片であっても、それが近所の人の情報発信などと結びつけば、個人の特定につながり、誹謗中傷をされかねない。そんな関係者の警戒心を、行政も無視できない。
そのうえウイルスへの恐怖や不安が、人々の神経を尖らせている。それが、感染した人やその家族への攻撃、排除という形になりかねない。実際に、そうした現象が起きている。
北海道新聞電子版が4月12日に掲載した、3月下旬に父親を亡くした女性への取材記事によれば、職業や居住自治体は公表されなかったのに、女性や夫の職場に情報は伝わった。職場から「風評被害が出ている」と言われ、女性は退職。女性も夫もPCR検査で陰性だったが、父の死を知らせた人から「怖いから、もうあなたには会えない」「おまえの家には、1年は行けない」などと言われた、という。
感染の舞台になった店が店名を公表すると、やはり非難のメッセージが寄せられることがある。大阪のライブハウスは、「なぜこの時期にイベントをしたのか」「悪いと思っていないのか」などと責められた、という。
感染するのは患者が悪いわけではなく、感染の場になってしまった店の責任でもない。それでなくても、家族を失った悲しみにあったり、休業によって経営に影響を受けたりしているのに、さらに非難や風評被害の追い打ちがあるのでは、できるだけ情報を隠しておいてほしいという気持ちにはなるだろう。
こんなひどい事例もある。
ヨーロッパ旅行から帰国した京都産業大学の学生3人の感染に端を発し、学生や外部の接触者など約70人規模のクラスターとなったケースでは、感染者と思われる学生をネット上で特定して暴き出そうとする動きがあった。
さらに、大学やクラスターとは無関係の大学職員、学生たちにまで非難が向けられた。大学職員が子どもを保育園に登園させないように言われたり、学生がアルバイト先から出勤を断られたりもした。大学には、「感染した学生の住所を教えろ」という電話があり、「学生を殺しに行く」「大学に火をつける」などと脅迫する電話やメールが何件も届いている、とのことだ。
これは、大学関係者に対する差別というばかりではなく、感染症対策においても極めて有害だ。せっかく、感染経路を把握して拡大を封じ込めるために大学名を公表したのに、その大学や関係者が誹謗中傷を受ける様を見ていたら、感染者が出ても絶対に組織名を出したくない、と思うだろう。さらには、感染の事実をできるだけ隠そうとするかもしれない。
そんなことになったら、把握できないところで感染が広がり、本当に手がつけられなくなってしまう恐れがある。
日本で感染の舞台となった店の名前の公表が進まないのは、誹謗中傷などを受けるリスクに加え、公表後に客が離れ、損失が出た時に、補償をどうするか、という問題が行政に二の足をふませることもあるだろう。
これについては吉村洋文・大阪府知事が、店名を公表した場合には一定の補償をする、という案を出している。公表同意へのインセンティブになると思われるが、簡単ではない。他の店も経営が苦しくなったり、自粛したりしているなか、店名公表による損失額がいくらになるか算出するのは難しいうえ、他の店との公平性の確保も容易ではない。
“監視社会”韓国の感染対策
そんなこんなで、情報の公開に慎重過ぎる日本とは対照的なのが、韓国だ。韓国では、感染者の詳細な行動を当局が把握し、プライバシー情報まで公表している。
具体的には、16歳以上の国民すべてが持つ住民登録証に、渡航歴や健康保険、クレジットカードの情報がひも付けられ、管理されているため、当局は人々の買い物や受診、通信、移動などの情報を瞬時に把握できる。加えて、津々浦々に防犯カメラを設置する監視社会が、すでにできあがっている。その密度は、都市部では中国以上ともいわれる。
一方で徹底的な検査を実施。陽性となった者は携帯電話の全地球測位システム位置情報(GPS)機能も駆使して行動を調べる、とのことだ。
そうして得られた情報は、積極的に公開する。実年齢、性別、居住地域のほか、行動についても詳細も明らかにする。
韓国在住の翻訳家・伊東順子さんによると、いつも利用するスーパーマーケットには、立ち寄った感染者に関する情報が保健所から提供され、それが顧客にもメールで通知される。たとえば――。
(1)3月18日午後4時12分頃 駐車場側の入口から来店(接触者なし/マスクおよび手袋着用)
(2)3月18日 午後4時12分~15分 干し唐辛子を購入後、セルフ計算台を利用(接触者なし/マスクおよび手袋着用)
(3)3月18日午後4時15分~16分 正面玄関から退店 (接触者なし/マスクおよび手袋着用)
総滞在時間4分
そのうえで、店側は休業して防疫および消毒、店員らの健康状態の確認などの対策をした後、「3月23日(10:00時)」には再開店する、と告知された、という。
また、3月5日のBBCニュース日本版の記事によれば、ソウル在住の記者の携帯電話には「43歳男性、ノウォン区の住民、コロナウイルス検査で陽性」「マポ区の勤務先でセクハラ講習を受けていた。講師からウイルスに感染した」など詳細な感染者情報が次々に入ってくる、という。夜11時3分までバーにいたことなど、男性の行動が続々入ってきた、という。
ある自治体の長は、ネット上で女性感染者の名字を明らかにすると共に、彼女が巨大なクラスターを作った新興宗教団体の信者と交際していたなどのプライバシー情報も明かした。
韓国では、2015年に中東呼吸器症候群(MERS)が流行。その際、政府は、患者の行動に関する情報を隠していると批判され、感染症患者についての情報公開に関する法律が大幅に変更された。政府が出す情報では、実名や詳細な住所までは明らかにされないが、複数の情報を結べば個人が特定されうる。
韓国在住のノンフィクション作家・菅野朋子さんはこう書いている。
〈不安にならずにすんだのは感染者数や検査数などの確かなデータが毎日公表されたおかげだった。どういう状況にあるのかがひと目でわかることが安心感につながった〉(文春オンライン)
さらには、韓国政府は海外からの帰国者に14日間の自宅隔離を義務づけ、それぞれ携帯電話に自宅隔離アプリのインストールと、それによる健康状態の報告を毎日行うなどして監視。それを守らない人には刑事罰を科し、監視を強化するために電子リストバンドの導入まで決めた。この対策に、国民の8割は賛成しているようだが、リストバンドは、すでに導入されている性犯罪者への足首につける電子ベルトを思わせるとして「人権侵害」との批判もあって、当人の同意を得た場合という限定付きで始めることになった。
徹底検査に加えて、こうした国民を監視下に置く対策が功を奏してか、一時は医療崩壊も懸念された韓国は、すでにコロナの押さえ込みに成功しつつある。
ただ、この方式を日本にそのまま導入できるか、というと、どうだろうか。法律的な問題もあるが、徹底した監視や当局が個人情報・プライバシーを管理し公開もする、という韓国式には、私自身もかなり抵抗を感じる。
ギャラップ・インターナショナル・アソシエーションが3月9日~22日、世界30カ国の人々を対象に行った、新型コロナウイルスに関する国際世論調査が興味深い。
「ウイルスの拡散防止に役立つならば、自分の人権をある程度犠牲にしてもかまわない」という意見に対して、「そう思う」と答えた人は、日本は32%で、30カ国中一番少なかった。30カ国の平均は75%。韓国は、それより上回る80%が「そう思う」としており、コロナ押さえ込みのために私権制限することを容認する意見が8割を占めた。
なぜだろうか。
国家による個人情報の監視を避けるには
まったくの私見だが、韓国は多くの犠牲を出しながら、国民自身の手で民主化を勝ち取ってきた歴史を持つこともあるのではないか。朴槿恵・前政権時代にも、朴氏の友人の国政関与が暴露されるや、人々がデモを続け、大統領を弾劾に追い込んだ。現在の文在寅政権でも、大統領肝入りの人事だった法相が、親族の不正疑惑に対する市民の抗議で、辞任に追い込まれている。
自らの権利が一時的に制限されても、政府になんらかの不正があれば、国民は政権をひっくり返すまでだという自信があるのではないか。
一方の日本はどうだろう。政府の政策に対する批判や閣僚の不祥事などで一時的に内閣支持率が下がったり、国会周辺でデモが行われても、それは政権をひっくり返すほどのパワーと広がりを持たない。選挙になれば、結局は現政権を構成する自民党が勝つ。
しかも、公文書の保存や公開などに関する問題がしばしば起きるなど、政府の不透明さが目立つ。
政府に対する信頼は薄く、かといって政権交代させる選択をしない(できない)。そんな状況の中では、自分に関する情報を政府に譲り渡し、管理させることに警戒心が働くのではないか。
自国の民主主義に対する信頼度が、この問題についての日韓国民の反応の違いになって現れているような気がする。
ただ、調査が行われた時期にも留意しておく必要はあるだろう。日本では2月下旬の安倍首相の突然の休校要請に伴う混乱が一服し、“自粛疲れ”もあって、人々の気が緩んでいた時と重なる。一方、韓国はあわや医療崩壊するのではないかという厳しい局面を乗り越え、感染拡大のピークを脱してまもない時期。このウイルスを巡る危機感に温度差もあった。
日本でも、感染者が急増する中で、人々の意識は変化している。政府に緊急事態宣言を発出するよう求める声が大きくなり、東京都では政府の方針に抗っても、幅広い業種に休業要請をしようとした小池百合子知事を支持する声が高くなった。
安心を求める人々が、当局による強い規制を求め、政府のほうが、むしろ私権の制限に慎重という現象が起きている。
私自身は、韓国の国家が個人を徹底監視していくやり方は避けたい、と思う。強権的な規制のために私権の制限をすることには、できるだけ抑制的であってほしい。かといって、個人情報等の秘匿がなにより最優先されるような日本の状況はまずいのではないか。
では、どの辺にバランスをとっていけばいいのだろうか。
これについては、迅速に、でありながら、不安にかられて拙速に決めるのではなく、今後への影響も考えながら、冷静に議論する必要がある。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)