江川紹子が考える「安倍首相記者会見のポイント」…自粛要請と補償をセットにするために
新型コロナウイルス感染の対策として、政府や自治体からさまざまな「要請」がなされている。それに従い、感染拡大防止に協力をしたことでさまざまな損失が出ている人たちに対して、損失補填について言及しないまま、「要請」が重ねられてきた。ようやく、安倍首相は3月28日の記者会見で、なんらかの「給付金」を検討すると表明した。一刻も早く、その内容を明らかにし、実施することが求められている。
「要請だから損失は自己責任」はあり得ない
政府による大がかりな「要請」は、安倍首相が2月26日に全国での大規模なスポーツ・文化イベントを中止もしくは延期、または規模を縮小するよう要請したのを皮切りに、翌27日には全国規模の小中高校の一斉休校を要請。いずれも、専門家の提言ではない、首相の「政治判断」だったが、3月10日には「専門家会議の判断」を受けて、イベント中止を「10日程度」継続するよう、再要請した。同月20日には、専門家会議の提言を受けて、引き続き主催者側に慎重な対応を求める形で、この要請を維持した。
海外からの帰国者がウイルス感染している例が相次ぐ一方、政府は水際対策の強化として、海外からの帰国者に対し、「(自宅やホテル等に)14日間待機し、空港等からの移動も含め公共交通機関を使用しないこと」も要請している。
こうした要請に従って、さまざまな活動・仕事を控えている国民、団体、企業は、多くの損失を被っても、なんの補償、損失補填もない。特に、文化・芸術等のイベントに関しては、最初の中止要請からすでに1カ月が過ぎた。このジャンルでは、経営基盤のしっかりした組織に属さないフリーランスも多く、彼らはウイルス感染の収束見通しも立たないまま、いつまで仕事がなくなり、収入が断たれる状態が続くのかもわからないという、物心両面の苦境に立たされている。
政府の要請に応えて、オペラ公演の無観客上演・ネット中継を行った(当然チケット代は払い戻し)滋賀県のびわ湖ホールの沼尻竜典芸術監督は、「我々は精いっぱいやれることをやるだけだが、文化・芸術は水道の蛇口ではない。いったん止めてしまうと、次にひねっても水が出ないことがある」と述べ、継続性の大切さを訴えている(びわ湖ホールのオペラ無観客上演・ネット中継については、Yahoo!ニュース個人を参照)。
ドイツでは、文化大臣が「芸術家と文化施設の方々は、安心していただきたい。皆さんを見殺しにするようなことはいたしません!」と力強い言葉で支援を確約し、実際に政府として1兆円を超える支援を発表している。
イギリスでも、イングランド芸術評議会(ACE)が、アーティストや劇場、ギャラリー、美術館などに合わせて1億6000万ポンド(約210億円)を注入すると発表した、と報じられている。
一方、日本では3月27日になって、ようやく宮田亮平・文化庁長官が文書によるメッセージを発表した。ただ、その内容は「私が先頭に立って、これまで以上に文化芸術への支援を行っていきたい」という願望を述べただけ。あとは「明けない夜はありません! 今こそ私たちの文化の力を信じ、共に前に進みましょう」という精神論での呼びかけにとどまった。姿も現さないまま、ホームページでこのような紙を発表するだけで、なんらかの効果があると思っているとしたら、あまりにも想像力が枯渇しているといわざるを得ない。
日本でも、子どもの休校により仕事を休まざるを得なくなった保護者の賃金に対する助成が決まり、新型コロナウイルスで影響を受けた個人事業主、中小企業などを支援する特別貸付制度も創設されて、当面は無利子・無担保で融資を受けることはできる。
しかし、要請に応えたイベント中止によって仕事を失うのは子育て中の人ばかりではなく、また融資はあくまで融資であって、いずれ返済を迫られる。
感染拡大を防ぐ、という大義の下に行われた政府の要請に応え、イベントを中止させ、収入を失ったのに、まったくなんの損失補填もなく、「忍耐せよ。金が足りなければ融資を受けろ」というのはあまりにも過酷ではないか。「要請であり、主催者の判断なのだから、損失は自己責任」というのはあり得ない。
強制力のない要請に従わせるには、主催者の公徳心に訴えるだけでなく、ある程度の経済的なインセンティブも必要だ。そうでなければ、格闘技K-1がイベントを強行し6500人もの観客を集めるような事態が繰り返されかねない。
首相発言を“言いっぱなし”にさせないために
3月28日に行われた記者会見で安倍首相は、冒頭のスピーチで、初めて融資以外に「給付金制度」を作ると述べたが、その規模や対象などについては明確にしなかった。「困難にあっても、文化の灯は絶対に絶やしてはなりません」とは言うものの、具体策は挙げられず、「この難局を乗り切っていただくことに重点を置いた対策を進めます」と述べるにとどまった。
しかし、その後の質疑のなかで、私が自粛と補償もしくは助成はセットで行う考えはないか問うたのに対して、安倍首相は次のように述べた。
「(文化芸術等の)灯が消えてしまっては、もう一度それを復活させるのは大変だということは重々承知しております」
「しかし、損失を補填する形で、税金でそれを補償することはなかなか難しいのでありますが、そうではない補償の仕方がないかということを、今、考えているところでございます」
「無利子・無担保で5年間据え置きの融資はあるのですが、やっぱり借りても大変だというお話も伺っています。ですから、そういう方々に対する給付金についても考えていきたいと考えています」
ポイントを整理するとこうなる。
(1)税金による損失補償はしない
(2)そうではない補償の仕方がないか検討している
(3)給付金という形を考えている
(1)の点に反応し、非常に悲観的なコメントをしている識者が少なくないが、意気消沈するのは早すぎる。実は、この答弁で大事なのは(1)の部分ではなく、(2)と(3)だと思う。
政府に過失がない限り個人への補償はしない、というのは、安倍政権に限らず、日本政府の伝統的思考法といえる。ただ、「補償」はしないが、別の名目で実質的には補償に近い現金支給をする、ということはある(なので、私も質問のなかに「補償」と合わせて「助成」という言葉を入れた)。
今回の答弁を聞いて私が思い出したのは、雲仙普賢岳の噴火災害に伴う被災者対応だった。この災害では、災害対策基本法に基づき、一定の地域が警戒区域に指定され、人の立ち入りが禁止された。そのために、財産を持ち出せず、損害を被った人もいる。地元の人たちは、これを「法災」と呼び、補償を求めたが実現しなかった。
警戒区域のように、当局が法律に基づく権限行使をしたことで生じた損害も「補償」しないという発想の下では、「要請」に応えた人たちへの損失「補償」に考えが及ぶはずがない。
それでも普賢岳の災害では、災害対策基金の創設や防災集団移転促進事業など、さまざまな制度を柔軟に組み合わせることによって、事実上の個人補償ともいえる手厚い復興支援策が実現した。この災害で、国の災害弔慰金も改善され、最高額が500万円に引き上げられた。
その後も、災害対策では生活再建支援という名目で制度が改善され、税金から個人に金が支給されるケースがある。たとえば住宅を失った人に支給される支援金は、かつての100万円から、今では最大300万円に引き上げられている。
今回のコロナ禍においても、権利としての「補償」はされないとしても、「支援」「助成」などの名目で、事実上の損失補填をすることは可能だろう。それが実現すれば、文化・芸術の支え手が助かるだけではない。継続性が求められる文化芸術の灯を絶やさないでおくことができ、人々は心の糧を得ることができる。できるだけ早く、なんらかの制度を打ち出すことで、ウイルス感染防止にとっても有効となるだろう。個人救済にとどまらず、公的意義は大きい。
首相の記者会見での発言(2)(3)は、そうした可能性に言及したもの、といえる。
これが実現に移され、首相自身の政治判断で行われたイベント自粛要請に関して、事実上の損失補填の仕組みができれば、今後、もし緊急事態宣言が出され、自治体の要請に基づいて商業活動を自粛したさまざまな業者に対しても、一定の損失補填がなされる道も開けるのではないか。
会見での安倍首相の言葉は「考えている」という曖昧なもので、具体的な形はまだ全然見えてこない。しかし、「綸言(りんげん)汗の如し」ともいう。記者会見という公的な場で、首相が損失補填について給付金という形を「考えている」と述べた発言を、言いっぱなしにさせてはならない。
今後は、いつ、どのような形で、この「考え」を実行に移すのか、あらゆる人たちがさまざまな場で問い続けていくことが大切だと思う。
SNS上では「#自粛と給付はセットだろ」というハッシュタグも飛び交っている。首相自身の政治判断で要請をしたのだから、その要請に応えた自粛によって生じた損失補填の方策も、首相自身が速やかに政治判断すべきだろう。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)