話をすりかえる首相、追及しない記者…「無意味な『記者会見』の改善を」江川紹子の提言
これでは、記者会見は意味を成さないのではないか。
それというのは、6月18日に安倍晋三首相が開いた国会閉会後の会見である。東京地検が河井克行前法相と妻の案里参院議員を逮捕した、との速報が流れて約3時間後の首相会見だ。にもかかわらず、記者たちはこの問題について、問いただそうとしないのに驚いた。
河井夫妻逮捕に関する安倍首相の責任
安倍首相の記者会見は、毎回はじめに、20分以上に及ぶ首相のスピーチがあり、それが終わってようやく質疑応答となる。この日の会見も、同様の段取りで行われた。
さすがに、安倍首相もスピーチの冒頭、河井夫妻逮捕の問題に言及した。しかし、それは、以下のようにきわめて内容が乏しいものだった。
「本日、我が党所属であった現職国会議員が逮捕されたことについては、大変遺憾であります。かつて法務大臣に任命した者として、その責任を痛感しております。国民の皆様に深くお詫び申し上げます。
この機に、国民の皆様の厳しいまなざしをしっかりと受け止め、我々国会議員は、改めて自ら襟を正さなければならないと考えております」
「任命した者として」「責任を痛感」と言いながら、その責任をどう果たすかについては触れず、論点を「国会議員」全体の話にすりかえている。
記者としては当然、「安倍総理自身の責任は、どのように果たすつもりなのか」を問うべきところだ。
第2次安倍政権では、10人の閣僚が辞任しているが、そのうち体調不良で辞めた1人を除き、そのたびに安倍首相は「もとより任命責任は総理大臣たる私にあり……」と述べ、国民に陳謝することで、やり過ごしてきた。
ただ、今回の河井夫妻のケースは、これまでのさまざまな問題とは性格を異にする。
まず、自民党からは通常の10倍に当たる1億5000万円もの金が投入された。安倍首相と何度も会食を重ねている政治ジャーナリストの田崎史郎氏ですら「総裁である安倍総理か二階幹事長のどちらかが出せって言わない限り出る金じゃないです」と述べているほど、異常な金額だった。ちなみに、2019年の自民党には国民の血税から176億円の政党助成金が交付されている。
仮に1億5000万円であればもちろん、買収の直接原資ではないとしても、党のトップとしての安倍総裁の責任は軽視できない。党本部から多額の資金提供が期待できたからこそ、河井夫妻は手元資金をばらまけた、とも考えられる。
さらに、安倍首相が自身の複数の秘書を案里氏の選挙戦に派遣している。首相自身も応援演説を行い、菅義偉官房長官は2回も広島入りした。二階俊博・自民党幹事長も、広島で「圧倒的に勝たせてください」などと訴え、案里氏の応援を行った。
案里氏は、安倍首相本人、官邸、そして安倍総裁率いる自民党が総力を挙げて当選させた、といえる。その選挙を前に、河井夫妻は自ら地元の地方議員や首長、後援会関係者らの金をばらまき、それが買収に当たる、との疑惑である。
この経緯を考えれば、安倍首相自身の「責任」は、「結果的に、法務大臣にすべきでない人を任命してしまった」ことだけにはとどまるはずがない。
記者会見では、当然その点が問われると、中継を見ていた人も、考えていたのではないだろうか。
ところが……。
“不要不急”の質問に終始する記者たち
質疑応答は、まず内閣記者会から2人が代表質問を行うよう、司会の官邸報道室長が促す。この日のトップバッターはフジテレビの鹿嶋記者。彼は河井案件について、遠慮がちに次のように尋ねた。
「冒頭、言及がありました河井夫妻が逮捕されたことについて、責任を痛感していると述べられましたが、総理、総裁として具体的にどういった責任を痛感されているのかということと、自民党から振り込まれた1億5000万円の一部が買収資金に使われたことはないということでいいのか、おうかがいします」
安倍首相は、冒頭の発言を繰り返した後、官僚が用意した手元の資料に目を落としながら、次のように述べた。
「選挙は民主主義の基本でありますから、そこに疑いの目が注がれることはあってはならないと考えております。自民党総裁として、自民党においてより一層、襟を正し、そして、国民に対する説明責任も果たしていかなければならないと、こう考えています。
それ以上につきましては、個別の事件に関すること、捜査中の個別の事件に関することでありまして、詳細なコメントは控えたいと思いますが、自民党の政治資金につきましては、昨日、二階幹事長より、党本部では公認会計士が厳格な基準に照らして、事後的に各支部の支出をチェックしているところであり、巷間言われているような使途に使うことができないことは当然でありますという説明を行われたというふうに承知をしております」
「どういった責任」を感じているかという、生ぬるい質問にすら答えておらず、あとは前日の二階幹事長の記者会見の内容を紹介しただけ。新しい情報も、首相自らの心中を語る言葉も、まるでなかった。
それなのに、約1時間の記者会見で、河井案件についての質問はこれ以上なされなかった。
そして、限られた時間を、「衆議院の解散」やら「ポスト安倍」やら「自民党総裁任期についての心境」といった、“不要不急”の問いに費やす記者が相次いだ。テレビで中継もされている会見で、首相が解散や自分の後任者について、あれこれ語るはずがないではないか。なんらかの実のある答えを引きだそうという工夫もなく、とりあえず聞いた、という記者の自己満足の問いに過ぎない、と思う。
「具体的に、何について責任を感じているのか」「その責任は、どのようにして取るつもりなのか」「国民への説明責任はいつ、どのような形で果たすのか」「今、きちんと話していただきたい」…… そういった質問や回答への要求を重ねて、あらかじめ官僚が用意した原稿ではなく、首相自身の言葉を引き出してこそ、記者会見の意味があるというものだろう。曖昧な答えでかわそうとする相手には、二の矢三の矢を放って、答えを求める。首相以外の多くの会見の場では、記者たちもそうやっているのではないか。
ところが、今回の首相会見では、記者は首相に気を遣いつつ、腰が引けた質問を1つしただけ。それにまともな回答が返ってこなくても、それっきり。これでは、記者会見ではなく、単なる「お言葉拝受」である。
もちろん、河井案件のほかにも、重大な課題はいくつもある。なにより日本は、コロナ危機の真っ只中だ。会見の3日前には、河野太郎防衛相が突然、イージス・アショアの配備を事実上断念することを発表した。そして、会見2日前には、北朝鮮が開城(ケソン)にある南北共同連絡事務所を爆破し、朝鮮半島に緊張が高まっている。
国民の関心もさまざまで、河井案件のみに時間をかけることができないのはわかる。しかし、各紙ともこの事件は当日1面のトップで扱い、翌朝の朝刊もその予定だったはずだ。そういう問題について、こんな甘いやりとりで終わらせていいはずがない。
記者会見がこうなる原因はいくつかある、と思う。
記者会見が「首相のお言葉拝受」になる3つの原因
残念ながら、第一に挙げなければならないのは、記者の質の問題だ。加えて、官邸側が決めた、参加できる記者の人数制限がある。
相手は一国の宰相であり、言葉遣いは丁寧かつ敬意を払った態度で質問することは心がけるとしても、前述のような“不要不急”の質疑に時間を食い、聞くべきことはしっかり聞かないのでは、記者の役割を果たしたことにならない。
それは官邸に常駐している政治記者たちの関心が、国民よりも政府に、国民の関心事よりも政局や政府の意向に向いているからだろう。
そして、このような事態は、コロナ対策を名目に、官邸側が会見に出席できる記者の数を制限していることも影響している。官邸記者クラブ「内閣記者会」の常勤19社は1社1人。そうなると、内閣記者会に属する政治記者が出席することになり、社会部記者は参加できなくなる。地方紙記者も同様だ。フリーランスやネットメディア、外国メディアは抽選で合わせて10人に限定される(江川は、この日の会見は、前回参加したことを理由に、抽選にすら参加できなかった)。
人数制限は、緊急事態宣言が発出された時に始まった。同時に、会場は大きなホールに移され、距離をとって座るよう、座席は指定されるようになった。
首相を感染から守らなければならないのは当然だが、こういう非常事態においては、できるだけ多様な質問を受け付ける工夫も必要だろう。
会場に入れない記者は、別会場からリモート参加する方法を検討するよう申し入れたが、聞き流されるだけだった。緊急事態宣言が解除され、会場は以前の会見室に戻されたのに、人数制限はそのままである。官邸による、異常なメディアコントロールが恒常化する懸念がある。
なお、最近はフリーランスやネットメディアにも質問の機会が与えられるが、18日の会見ではそれはなく、外国メディアの記者が最後に強く要求して、ようやく1人指名されただけだった。
こうして、大手メディアの出席者に多様性が失われたなか、政治記者たちが自己満足の質問を連発する。
第2に、時間の問題がある。首相会見は、新型コロナウイルスの対応を巡って、以前よりは長く、1時間前後になった。しかし、冒頭に首相が長いスピーチを行うので、実質的には40分程度だ。質疑応答でも、安倍首相はそれぞれに時間をかけて答える傾向があり、どうしても質問者の数は限られることになる。
質問が続いても、官邸側が予定した時刻を過ぎれば、打ち切って会見は終了される。2月に「まだ質問があります」という声を振り切って記者会見を閉じた後、首相がすぐに帰宅していた点が批判されたのに懲りたのか、最近は記者会見の後に政府のコロナ対策本部会議や「外交日程」などの用件を入れ、それを理由に打ち切りとなる。18日の会見の後も、スペインの首相との電話会談が設定されていた。
今回は、首相が国民に説明すべき事柄が多岐に及んでいたのだから、記者たちは「我々は待っていますから、電話会談が終わってから会見場に戻ってきてください」と要求してもよかった。
第3に、司会者の問題がある。
3月17日の朝日新聞デジタルの記事によれば、「首相会見の主催は記者会だが、慣例として司会は官邸側の内閣広報官が務めてきた」とある。
この司会者が「1人1問」とか「声を発せずに挙手する」などの「ルール」を記者に押しつける。論点からそれた回答でも、次の質問者に移るので、首相が言いっぱなしで終わり。時間が限られているという記者側の遠慮や記者同士の連携がないこともあいまって、重ねて質問する「更問い(さらとい)」ができない状況を作っている。そのために、やりとりがまったく深まらない。
そこで、いくつか改善策を提案したい。
1)記者会見の参加者を増やす。
広い会場で行い、参加人数を増やす。会場に入れない人はリモート参加ができるようにする措置をとる。そうすれば、まっとうな質問者も増えるだろう。
2)主催者でもない広報官が司会をやる「慣例」は終わりにし、司会は記者代表が行う。
質問に正面から答えていない場合などは、司会者が回答を促したり、質問者が重ね聞きできるようにすることは言うまでもない。
3)首相の冒頭スピーチを短くする。
緊急事態宣言の発出や解除のように国民生活に重大な影響を及ぼす大事な発表がある場合は別として、5分程度に収めれば、質疑の時間が余計にとれる。
あるいは、
4)記者が司会を務める日本記者クラブにおいて、定期的に(あるいは随時)記者会見を行う。
というのも、一案ではないか。
しかし、どれもこれも、出席する記者やメディアに、自分たちは国民の知る権利の行使を代行しているのだという自覚がなければ意味がない。
とりわけ内閣記者会常駐各社には、猛省を促しておきたい。