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藤野光太郎「平成検証」IRカジノ解禁の真実(1)

欠陥だらけのIR法で海外カジノ業者の日本上陸を“先導”する安倍政権…民設民営の賭博場

文=藤野光太郎/ジャーナリスト
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安倍晋三首相(左)と米国のドナルド・トランプ大統領(右)(写真:AFP/アフロ)

平成30年7月、IRカジノ解禁!民設民営「私営賭博」の政府公認は史上初

 人生は「賭け」である。誰もが各々の目的を達成して維持しようとする。生きていく時間と事柄を極小に細分化すれば、人は日常の物事を毎時毎分毎秒、瞬間ごとに二進法で選択する。生きている限り、人は無数の選択と結果をギャンブルのように繰り返し続ける。毎日はそれだけでもスリリングだ。

 それにもかかわらず、人は誰かが設えた“加工ギャンブル”に群れ集う。群れた賭場で投資して「大金を得るか失うか」「一か八か」のスリルが脳を痺れさせる。ドーパミンが噴出して理性系が弱まり感情系が強化されれば、現実的な判断は困難になる。そうしたヒトの脳メカニズムを金儲けに利用する商売が動き回るのは世の常だ。同様の目論見で手を組んだ人々が手練手管で独占利権を手にすれば、互いの金庫に莫大なカネが唸り始める。

 2018(平成30)年7月20日、カジノを含む統合型リゾート(特定複合施設)を設置するための法律「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」(略称「IR整備法」、通称「カジノ法」)が参議院本会議で可決・成立し、平成から令和に改元する直前の2019(同31)年3月29日に公布・施行された。本稿では以降、同法を便宜上「IRカジノ法」と呼称する。

「IRカジノ法」施行から9カ月後の2020(令和2)年1月7日、カジノ事業を管理・監督する注目の規制機関「カジノ管理委員会」が内閣府の外局として設置された。同委員会は国民に対して、カジノ事業を厳しく監視する責任を負うことになっている。

 カジノは、言わずと知れたギャンブル(賭博)だ。江戸時代、幕府は治安を維持し風俗を取り締まる「八州取締役」を各地に配して、度が過ぎた博打をした者には流刑や死罪まで科している。さらに歴史を遡れば1300年あまり前の「持統天皇」の時代、『日本書紀・巻30』の中盤に「十二月己酉朔丙辰、禁斷雙六」との記述がある。「雙六=双六」は689年12月に賭博として禁止されている。

 従って、「民設民営の“鉄火場”を政府が公認した」のは、日本史上でもおそらく初めてのことだろう。

 胴元が寺銭(てらせん)で儲ける賭博の本質は昔も今も変わらない。古典落語に「場で朽ちるからバクチ」という語呂合わせがある。国家権力が賭博を禁止・規制しようとするのは、黙認・放置すれば、国民が「当たれば働かずに大金を手に入れられるかもしれない」と期待して、これに没頭するからだ。

 前述のように脳がそのスリルを味わえば、博打にのめりこんで賭博に依存する。多くの国民が賭博に依存すれば「勤労」の意欲を損なう。勤労意欲が衰えれば「生産」の障害となる。生産が低下すれば当然、国の「徴税」も不安定となる。ヒトの脳メカニズムが解明され始めたのは最近だが、そのはるか昔から「ギャンブル依存のリスク」が常識とされていたのは、その依存性が普遍的で絶対的なものだからである。

カジノ管理委員会は本当に機能するか?

 ギャンブルを規制するための法の条文は言葉を区別して仕分けされ、組み立てられている。賭博の「賭」は「賭事」の「ト」、客がゲームに関与せず参加するギャンブルを意味する。「博」は「博戯」の「バク」、客がゲームに関与するギャンブルだ。「博打」は「プレイヤーの賭博行為」を指す。

 誰もが知るように、カジノ解禁以前も国内には公営賭博がいくつも存在し、今も営業中だ。政府が公認して「公営競技」と名付け、地方財政上は「収益事業」とも呼ばれる「公設公営」の「競馬」「競輪」「競艇」「オートレース」は、「宝くじ」や特殊法人による「中央競馬(JRA)」も含めて、紛うことなき「ギャンブル」である。また、「民設民営」で営業中の「パチンコ・パチスロ」も、国が「賭博ではなく遊技」と位置づけてはいるが、大多数の国民の認識は“小博打”だ。ただし、取り締まり当局の摘発対象は、それらが違法行為を犯した場合以外は、麻雀や野球、相撲などを賭け対象とした「違法賭博」だけである。

 いずれに関しても追って詳述するが、実態として見ると現状は、公営賭博を「参加プレイヤーが関与できないもの」として分類できる。競馬・競輪・競艇・オートレース・宝くじはすべて、当たるか否かは不明の対象に賭けて関与せずに結果を待つ。逆に、パチンコ・パチスロにはプレイヤーが“技”と“工夫”で関与する余地がある。

 一方のカジノ場には、客が「結果に関与するゲーム」と「関与しないゲーム」が混在する。ルーレットやバカラは賭けて結果を待つが、ポーカーやブラックジャックはカードが切られるたびに選択を迫られ、言動挙動での心理戦も必要だからだ。

「客がゲームに関与する賭博と関与しない賭博を併設し、なおかつ、公設公営ではなく民設民営のカジノ」を認めたIRカジノ法が国会の審議を通過したのは、閣法として法案を提出した安倍内閣が国会の多数を占める政権与党であり、数の力で強行採決したからである。

 しかし、素人目にも穴だらけの法律で海外カジノ業者の日本上陸を先導する政府の旗振り姿を見れば、国民がカジノ解禁を正当化する人々の言動を訝しく感じるのは当たり前である。後述するように、IRカジノ法はいくつもの重大な欠陥・問題を孕んでいるからだ。

 IRカジノ法が施行された今、国民が特に注視すべきことは「カジノ利権の決定プロセス」である。言うまでもなく、どのような商売にも利権があるため、「利権」そのものに良し悪しはない。利権を獲得する過程に、なんらかの「財」をからめた不当・不正・違法な“対価”の取引や密約があることが問題なのである。

 そうであれば、「カジノ時代の幕開け」を目前にした今、メディアがもっとも光を当てて国民に伝えるべきことは、利権獲得に血眼の巨大ギャンブル資本を監視すべき前述のカジノ管理委員会が、自らの職責を全うしているかどうかの一点に尽きる。もし、不当・不正・違法な利権の発生から目を背ければ、それは「悪徳利権への加担」となる。

 詳細は次回以降の検証で解説するが、たとえばカジノに関する行政資料・官邸資料などを見ると、そこには「世界最高水準の規制」という文言が頻繁に出てくる。しかし、どれほど高邁な理想を掲げて「廉潔性の確保」をうたっても、カジノ管理委員会の現場が肝腎な場面で自らの「職責」を果たせなければ、「管理・監督・監視」にはならない。

 マスメディアは安易にこの文言をそのまま流布しているが、それは「紙に書かれた単なるお題目」にすぎないのだ。なぜなら、2011年の福島原発事故で崩れ去った「安全神話」でも明らかなように、人や技術、設備やシステムの能力がいかに高かろうが、それを操る人間の「職責意識」が低ければ、巨大事故は何度でも再発し得るからである。世に悪徳利権がはびこるのも同じ理屈だ。

 そのため、国民はIRカジノ解禁の是非を今後も継続して問い続けざるを得ない。既存の「公営賭博、パチンコ・パチスロ」と「IRカジノ」とはどのように関係しているのか。IRカジノの法制化は誰がどんな思惑で起案したのか。同法を法的根拠としてカジノの規制・監視を担うカジノ管理委員会は本当に機能するのか。政・官・財・学・報はいかに連動し、仕掛け、法制化を成就したのか。そして、そもそも禁断のカジノを解禁した安倍内閣の本当の狙いは何か。

 次回以降、これらの具体的な検証を始める。

(文=藤野光太郎/ジャーナリスト)

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