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警察が捏造…冤罪の元死刑囚・84歳の袴田巌さん、再審を拒みつける東京高裁の“見識”

写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト
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警察が捏造…冤罪の元死刑囚・84歳の袴田巌さん、再審を拒みつける東京高裁の“見識”の画像1
袴田秀子さんと巌さん

「裁判所の22日付けの通知書が23日に届きました。クリスマスプレゼントですね」

 静岡県浜松市の袴田秀子さん(87)が電話の向こうで快活に笑った。同居している弟、袴田巌さん(84)について、最高裁の特別抗告審は、再審開始を取り消していた東京高裁決定を「審理不十分」として取り消し、同高裁に差し戻すことを決定した。

 元プロボクサーの袴田巌さんは、1966年に味噌工場の専務一家4人が殺害された袴田事件で逮捕され、死刑が確定。48年間の拘留後に2014年に釈放されたが、2018年に高裁が再審開始を取り消し、弁護団が最高裁に特別抗告していた。いまだに「死刑囚」である。

「最高裁でこういう認定をしていただきありがたい」という喜びの記者会見に筆者は駆け付けられなかったが、秀子さんに電話すると「巌に通知書を見せて説明したら『そんなはずないんだ。再審なんて終わった』なんて言っていました。でもそのあと、記者さんたちがたくさん家に来たりしてたので、何か大きなことがあったことは感じているみたいですね。なんとなく、わかってるんじゃないかな」と話した。

「再審になったら法廷にも立つんだから、まだまだ巌にはがんばってもらわなきゃ」と意気軒高。いつも「元気印」をもらえる朗らかな「死刑囚の姉」は健在だ。

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袴田秀子さん

3対2で早期再審は退けられる

「国家権力寄り」の産経新聞はこの決定で、これまでの「袴田元被告」という表現を改め、「袴田巌さん」にすることを「おことわり」で書いていた。だが、最高裁決定は秀子さんにとって「最良の決定」だったわけではない。

 最高裁第三小法廷は5人の裁判官で構成される。林啓一、宇賀克也の2判事は「すぐに再審を開始すべき」としたが、林道晴裁判長を含む3人がそれを否定してしまった。あと一人でも賛成していれば、すぐに静岡地裁で再審が開始されたのだ。差し戻された東京高裁は改めて再審の可否を判断するだけ。

 巌さんは84歳だが、再審開始になるまで数年かかる可能性もある。巌さんは48年間も拘置所に閉じ込められ、死刑の恐怖などから重度の拘禁症となり、いまだに意味が明瞭ではない発言が多い。2014年春の釈放時の最初の会見では「松尾芭蕉が、西郷隆盛が、黴菌が……私はローマ法王……」などと脈絡なく話していた。

 しかし秀子さんは今、「精神科医などに診せたって治るものではありませんよ。ありのままの巌を見てもらうことこそ、国がどんなことをしたかを訴えることになるんです。巌の姿が恥ずかしいなんて思ったことありません」と話している。

濃厚な警察の捏造

 さて今回の決定のポイントは、(1)犯行時の着衣とされた衣類に付着した血痕の色の変化について審理が尽くされていない、(2)味噌漬けにされた血液に生じるという化学反応について専門的な調査をすべきだとされた点である。しかし、衣類から取られた遺伝子が巌さんのものと違うとした弁護側のDNA鑑定については、「鑑定の不確定性や困難性は明らか」と信用性を否定した。これは再審を取り消した高裁決定と同じだ。   

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パトロールに出かける袴田巌さん

 今回、最高裁は「血痕の色」に重きを置くことにした。これは検察にとって極めてまずい。半世紀以上前の「警察の捏造」がこれまで以上に大きくクローズアップされかねないからだ。朝日新聞によれば、検察の幹部は「5点の衣類の証拠が捏造されたという前提に立つ決定」と疑問を呈している。本当は「疑問」というレベルではないだろう。

 捏造とは何のことか。静岡県警は事件から1年2カ月も経ってから、工場の味噌樽の中から犯行時に着ていた着衣が見つかったとして、シャツやズボン、下着などを裁判所に証拠提出した。当初から「そんな場所を捜査していないはずがない」という声は出ていた。さらにズボンは小さすぎて、袴田さんには全然はけなかった。しかし、有罪判決は味噌に浸かって縮んだ」などとする検察主張を通してしまった。

 警察の写真では、衣服に付着していた血痕は赤っぽい。しかし1年以上、味噌に浸かっていれば黒ずんでしまうはずだった。物証が弱いこの事件において、警察は立件を固めるために、事件後に適当な衣服を味噌樽に放り込んだ可能性が極めて高かった。もはや誤認逮捕などではなく、国家犯罪である。

 6年前に再審開始決定をした静岡地裁はこの「警察の捏造」を明確に述べていた。この時のことについて秀子さんは「弁護団の小川(秀世)事務局長から『捏造だと言っては駄目』と言われ、私も『捏造だ』とか『でっち上げ』なんて言わないようにしていました。ところが村山(浩昭)裁判長が捏造とはっきり言ったから驚きましたよ」と振り返る。

「血の色重視」は朗報 

 早くから袴田巌さんの救援活動をし、味噌漬け衣類の血痕の色に注目して実験していた「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長は、今回の最高裁決定についてこう話す。

「時間をかけてやってきた実験なので評価されてうれしい。塩分によって血液のたんぱく質が糖質に変わっていくということですが、たんぱく質が糖に変わっておいしくなることは身の回りにいくらもあること。難しいDNAの科学鑑定より、こうしたシンプルなところで裁判を進めるべきです。その意味でよかったと思います。巌さんも秀子さんも頑丈な人なので大丈夫ですよ」

 同じ「山崎さん」だが、今回の最高裁決定について元東京高裁判事の山崎学・慶応大客員教授は「長年にわたるDNA型鑑定を巡る議論に終止符を打ち、争点を『衣服に付着した血液の色が専門的知見と矛盾していないかどうか』に絞って差し戻しており、一見遠回りだが審理の迅速化につながる」(12月24日付読売新聞より)としている。そうであることを願いたい。

気迫十分の「世界一の姉」 

 9月末に秀子さんを伺った際に聞いた話で興味深かったのは、昨年、クリスチャンの巌さんをローマ法王が訪れた東京ドームに連れていった後、「自分はローマ法王だ」と言わなくなったという話だった。「本物を見た感想は話さないけど、巌なりに思うところがあったんでしょうね」と笑っていた。

「国家権力は高齢の巌を死刑にするわけにもいかんし、きっと巌が死ぬのを待ってるんでしょう。そう思ったら、こっちもそう簡単には死ねやしませんよ」と話していた秀子さん。裁判も長引くならこっちも長生きできる、とばかりの気迫である。「世界一の姉」に国家権力は絶対に勝てないはずだ。

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ローマ法王から二人に贈られたメダル

粟野仁雄/ジャーナリスト

粟野仁雄/ジャーナリスト

1956年生まれ。兵庫県西宮市出身。大阪大学文学部西洋史学科卒業。ミノルタカメラ(現コニカミノルタ)を経て、82年から2001年まで共同通信社記者。翌年からフリーランスとなる。社会問題を中心に週刊誌、月刊誌などに執筆。
『サハリンに残されて−領土交渉の谷間に棄てられた残留日本人』『瓦礫の中の群像−阪神大震災 故郷を駆けた記者と被災者の声』『ナホトカ号重油事故−福井県三国の人々とボランティア』『あの日、東海村でなにが起こったか』『そして、遺されたもの−哀悼 尼崎脱線事故』『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』『アスベスト禍−国家的不作為のツケ』『「この人、痴漢!」と言われたら』『検察に、殺される』など著書多数。神戸市在住。

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