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江川紹子の「事件ウオッチ」第153回

江川紹子の提言「裁判所は安易に傍聴席を削るな」…“裁判の公開”の原則の遵守を

文=江川紹子/ジャーナリスト

 

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裁判所の新型コロナウイルス感染症対策には、「裁判の公開」に及ぼす影響への懸念も……。(画像は「Wikipedia」より)

 新型コロナウイルス蔓延に伴う緊急事態宣言が解除され、止まっていたさまざまな企業や機関が動き出した。緊急事態宣言の下で停止状態に近かった裁判所も、裁判員裁判を再開するなどその機能を取り戻しつつある。ただ、傍聴席を大幅に削減するなど対策の過剰さも見られ、「裁判の公開」に及ぼす影響が懸念される。

裁判所の過剰なコロナ対策

 たとえば、6月4日午前に行われたリニア談合事件の裁判。JR東海が2027年に開業を目指す中央新幹線の品川、名古屋両駅工事の入札で、ゼネコン4社間で受注調整が行われたとして、大成建設と鹿島建設、それに両社の元幹部2人が独占禁止法違反の罪に問われている事件だ。

 証人尋問や証拠の採用などの実質審理は3月までに終え、検察側の論告・求刑公判は4月9日に行われるはずだったが、延期された。6月4日には、この論告・求刑が行われた。

 この事件の審理で使われる104号法廷は、東京地裁の刑事法廷のなかで最も広く、傍聴席は98席ある。この日は、傍聴券の発行があり、それを求めて64人が並んだ。16席が報道用の記者席に使われるとしても、本来なら無抽選で全員が傍聴できるはず。ところが、裁判所が一般傍聴席として用意したのはわずか18席のみだった。

 記者席は通常通り1人1席だが、それ以外は座席の3分の2に「使用禁止」の紙が貼られ、座れないようになっていた。

 一般傍聴席のほかに、事件関係者のための特別傍聴席が9席確保されており、そのうち少なくとも4席には、被告人の弁護人が座った。裁判所が弁護人席に座る弁護士の数を7人に限定し、バーのなかに入れなかった弁護人のために、一般傍聴席を減らし、特別傍聴席を用意したのだ。

 今なお感染症のリスクがあるなかでの再起動に、慎重になるのはわかる。しかし、傍聴人は開廷中、前を向いて静かに座っているだけで、一切言葉を発しない(発言すれば、退廷を命じられる)。裁判所側が椅子の肘掛け部分を消毒し、傍聴人にはマスクの着用や入廷時の手指の消毒、咳やくしゃみを連発している場合の傍聴自粛を求めれば、傍聴席で感染するリスクは、極めて低いのではないか。

 それを考えれば、裁判所のこの対応は過剰ではないか。

危険な「まず傍聴席を削る」という発想

 今回のコロナ対策を理由にした対応以外でも、最近の裁判所は「裁判の公開」に対する配慮に欠けた措置がしばしば見られる。

 今年1~3月に横浜地裁で行われた、障害者施設・津久井やまゆり園での殺傷事件の裁判では、法廷の傍聴席84席のうち約4割に当たる34席を、本来の目的とは異なる、臨時の被害者参加人席とした。そのため、記者席を除いた一般傍聴席は27席しかなくなった。

 被害者席はパーテーションで囲って見えなくする遮蔽措置を施していた。一般傍聴席から“分断の壁”を設けたことで、確認するのは難しいが、毎回傍聴に訪れている被害関係者はそれほど多くなかったようだ。私が傍聴に訪れた時にはわずか6人だったと、傍聴した被害関係者から伝え聞いた。

 本件は、社会的にも関心が高く、連日傍聴券を求めて多くの人が並んだ。傍聴できなかった人がたくさんいる一方で、被害者席に転用された傍聴席はガラガラ、けれどもその様子は確認できない、という異常事態が放置されていたのだ。

 裁判の公開は、憲法で定められた非常に重要な原則だ。裁判所も、当然それは理解している。

 今年2月には、被告人の護送を担当した警察官が誤って傍聴席側のドアを法廷内から施錠してしまったまま一審判決が言い渡された事件で、東京高裁は「自由に審理を傍聴できなかった」と指摘し、憲法に反すると判断して、一審の前橋地裁太田支部の有罪判決を破棄し、審理を地裁に差し戻す判決を言い渡した。

 最高裁は、裁判公開の意義を、「裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにある」(レペタ訴訟最高裁大法廷判決/1989(平成元)年3月8日)と認定している。

 しかし、その理念が本当に形になっているだろうか。

 国民の信頼を確保する、という趣旨を踏まえれば、単に法廷のドアの鍵を開けておき、1人でも傍聴できればよいというものではなく、国民の傍聴機会はできるだけ守る、という発想にならなければおかしい。

 裁判員裁判が行われて、国民が司法に参加するようになった今、国民の傍聴機会を守り、裁判の公開を充実させることは、ますます重要になっているといえるだろう。コロナ対策といい、関係者が多い事件での被害者対応といい、「何かあったら、まず傍聴席を削る」という裁判所の発想は、この時代の要請に逆行している。

 裁判所では、性犯罪の被害者など、被告人がいる法廷にどうしても出廷できない人に証言させる場合、別室に証人を呼び、法廷内のモニターに映像と音声を送るビデオリンク方式で尋問を行うことがある。

 やむを得ず傍聴席を削る場合には、同じ仕組みを使い、別の法廷や会議室などに傍聴希望者を入れて、傍聴の機会を設けることも、技術的には可能だ。

 あるいは、被害者参加人が多くてバーのなかに入りきれず、そのうえ遮蔽措置を求めている、というやまゆり園事件のようなケースでは、被害関係者が別室でビデオリンク方式によって安心して傍聴してもらえるようにしてもいいのではないか。

 いずれにしても、まずはそうした工夫をしてみるのが先で、安易に傍聴席を削減するべきではない。

横行する証人の匿名化や遮蔽措置

 また、裁判の公開という点では、証人の匿名化や遮蔽措置が、これまた安易に行われているように見えることも、気がかりだ。

 たとえば、今年2~3月に千葉地裁で行われた、野田市の小4女児虐待死事件の父親が裁かれた裁判では、通常の形での証人尋問が行われたのは専門家証人だけ。先に執行猶予付きの有罪判決が確定している被害者の母親(被告人の妻)がビデオリンク方式で証言したほか、被害者が通っていた小学校の担任教師、児童相談所職員、被告人の母親などは、すべて匿名で、遮蔽措置が施されての証言となった。

 法廷内では、報道機関であっても、証人の姿を撮影することはできない。この裁判では、手荷物は預けさせられ、傍聴人が法廷に持ち込めるのはノートや貴重品などに限定されており、そのうえ金属チェックや警備係によるボディチェックも入退廷のたびに行われており、隠し撮りの危険も皆無に等しい状況だった。また、裁判所は証言内容のみならず、証人の証言態度を含めて信用性などを判断し、判決に反映させることを考えれば、傍聴人にとっても、証言を「聞く」だけでなく、その態度等を「見る」ことは意味がある。それを制約することは、「裁判の公開」の部分的な制約とさえいえるのではないか。そのような措置には、裁判所は本来、慎重でなければならない。

 被告人にしろ、証人にしろ、公開の法廷で、傍聴人の目にさらされることを自ら望む人はほとんどいないだろう。できれば非公開の法廷で、さもなければ遮蔽措置を望むのは当然の心情だ。

 しかし、そうした心情に寄り添うより、司法にとっては、「裁判の公開」を厳守することを優先すべきだろう。そうすれば、ビデオリンクや遮蔽や匿名化などの措置は、

1)被告人と証人が、暴力団の親分子分やDVなどの加害者被害者のような関係で、通常の形では適切な証人尋問が行えず、必要な証言が得られないおそれがある

2)通常の形で行うと、証人の人権が著しく侵害されるおそれがある

 といった、特殊なケースに限られる。こうした措置を導入したのも、このような例外的な対応としてのはずだった。

 にもかかわらず、いつの間にかその規律が緩み、安易な遮蔽措置、匿名化が行われるようになった。2014年に行われた、オウム真理教の逃亡犯の裁判では、被告人が入信する以前に友人関係にあったというキリスト教教会関係者の証人尋問が、匿名かつ遮蔽で行われた。その内容は、入信前の被告人の人柄や、脱会しているのであれば出所後は応援したいという程度のもの。被告人との特殊な力関係にあるわけでも、証人の人権が脅かされるわけでもない、ごく一般的な情状証言だった。

 こういうものまで、「証人が望んでいるから」というだけの理由で匿名化し、遮蔽措置まで施すのでは、「裁判の公開」は後退してしまう。

 裁判所は「裁判の公開」原則を、大事にしてもらいたい。

(文=江川紹子/ジャーナリスト)

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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