尊厳死宣言はムダだった?終活で尊厳死を宣言した女性の「寝たきり」「胃ろう」介護の現実
中野ヨシさん(71歳、女性)は、特別養護老人ホームに入所して丸3年が経過した。脳出血から肢体麻痺になり、要介護度5の寝たきり状態で自発的な動作は一切できない。現在は胃ろうを造設し、毎日ほぼ決まった時間に起きて、管から栄養を補給し、おむつ交換、臥床等、ルーティーンを繰り返している。
最近は嚥下状態が改善し、口からゼリー状の食べ物を摂取できるようになった。時折見せる笑顔のなかで、かすれた声で「苦しい」「つらい」という言葉を口にする。
葬儀はしなくていい、夫の実家のお墓は「墓じまい」
ヨシさんが終活を意識するようになったのは、65歳を過ぎたあたりからだという。5人きょうだいのうち、長男・長女と立て続けに亡くなったことがきっかけで、「葬儀やお墓のこと、相続のこととか考えておかなきゃね」とエンディングノートを買ったり、終活セミナーに足を運んでいたりした。夫と一緒に遺影撮影会に参加したこともある。
「葬儀はしなくていい。家族だけで火葬できたらそれでいい」
「お墓もいらない。遺骨は、亡き夫の遺骨と一緒に散骨でいい。ただし、亡き夫は長男なので、四国にある先祖代々の墓を墓じまいする必要がある」
これが、ヨシさんがエンディングノートに書いた葬儀やお墓の希望だ。子どもは娘ひとりのみ、孫はいるものの、その代まで四国のお墓を守っていくことは難しいと考えている。夫とも「四国の先祖代々のお墓は、自分たちの代でなんとかしなくてはいけないね」と話していた。しかしそんな矢先、夫は先に他界してしまった。
墓じまいするにしても、しないという選択をするにしても、四国のお墓については自分がなんとかしなければいけないとヨシさんは考えていたのだった。
延命治療は必要なし、「尊厳死」を表明
一連の終活のなかで、ヨシさんが明確に表明したことがある。
「助かる見込みのない状態になったら過剰な治療はしない。死期を引き延ばすだけの治療はしたくない」
一般的に「尊厳死」といわれている考え方だ。
尊厳死とは、避けられない死が迫ってきたときに、延命だけを目的とする治療をやめて穏やかに死を迎えようとする考え方。似た言葉として安楽死という言葉もあるが、これは、自分自身の意思と判断で人為的に死を早めるもので、日本では基本的に認められていない。
ヨシさんは、尊厳死の啓蒙を呼びかける団体に入会し、尊厳死の意思表明をしていた。
尊厳死の意思を示したからといって、必ずしも実現できるとは限らないことはリサーチ済みだ。医師の判断にもよるし、救急の場合は救急隊員が自己判断で救命処置をやめるわけにはいかない。それを承知のうえで、意思を示しておくことにより家族が少しでも楽になれば、という思いだったのだろう。
また、エンディングノートには、終末期医療について、そして介護についてもこう記してあった。
「認知症になったら施設へ入所」「ガンだったら自宅で療養」
これは夫の看取りの経験によるところが大きい。
5歳年上の夫は、ヨシさんが倒れる1年前にガンで亡くなった。闘病生活は負担が大きかったが、最期は自宅で看取ることができた。気分のよい日は散歩に出かけたり、好きなお酒も我慢することなく口にすることができた。
「父らしい最期を迎えることができた。母も、自分もあのような形で送られたいと思っていたのでしょう」とひとり娘は語る。
ヨシさんが胃ろうを造設したのは、特別養護老人ホームに入所して3年目に入った頃だった。誤嚥性肺炎をたびたび発症、特養と病院を行ったり来たりするようになり、医師から娘に迫られたのが「胃ろう」だった。娘の考えはこうだ。
「母はまだ若い。もう少し生きていてほしいので、胃ろうにしてほしい」
状態が落ち着けば、また口から食べ物を摂取できる可能性がある、という医師のアドバイスもあり、娘はヨシさんの胃ろうを選択したのであった。実際、現在は状況が改善し口から少し食べられるようになったが、これがヨシさんの望みであったのかは定かではない。
「墓じまい」は手つかずのまま
娘は、ヨシさんの胃ろうを選択したことを機に、お墓のことを考えるようになった。すでに亡くなっている父、そして将来ヨシさんが入るであろうお墓を都内近郊に持ち、そこに夫婦2人の遺骨を一緒に納めたいと思っている。
「母はエンディングノートに『墓は不要』と書いているが、それは私たちに迷惑をかけたくないという配慮によるもので、本心で不要だと思っているわけではないと思う。私はお墓を通じて父を供養していきたいし、そういう姿を子どもたちに見せていきたいと思っている」
と、さまざまなタイプの墓を見学し、結局都内にある納骨堂を購入した。ここは跡継ぎなしでも購入でき、継ぐ人がいなくなったら永代供養として寺院で遺骨を管理・供養してくれるシステムを採用している。
しかし、四国にある先祖代々の墓については、未だ手つかずの状態だ。
「先祖代々となると、親戚に筋を通さなければいけないと思うし、住職にも挨拶に行く必要がある。事務手続きも必要になるので、まとまった時間とお金がなければ、なかなか着手するのは難しい」と頭を抱えていた。
胃ろう、墓の購入…彼女の終活は無駄だったのか?
ヨシさんが元気なときに終活としてプランニングしていたことは、どれだけ実行できたのだろうか。お墓は不要といっていたヨシさんだったが、娘はお墓を購入した。
3年にわたる特養での寝たきり状態も想定していなかっただろう。「胃ろう」の造設も本意であるのかどうか、本人の意思は確認できていない。
エンディングノートに記した希望は実現できなかったことも多いが、だからといってエンディングノートに書いたことが無駄になったわけではない。
せっせとセミナーに足を運び、聞いたり調べたりしたことで、自分の思いをエンディングノートにまとめることができた。少なくとも家族はそれを指南書として、医療や介護を考えることができたはずだ。
「エンディングノートには、預貯金やスマートフォンの暗証番号等、大切なことも記録されていた。何より母の軌跡がまとめられて、私たちが知らない母の姿を知ることができた。これも終活してくれたおかげだと思う」
家族が面会に行くと、色白でハリのある顔に笑みがこぼれ、かすかに笑い声も聞かれる。しかし「つらい」「苦しい」という発語がなくなることはなく、何が本人にとってベストな方法なのかわからないまま模索している。
(文=吉川美津子)
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