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榎本博明「人と社会の役に立つ心理学」

絶えずだれかとつながっていても孤独感が癒されない君へ…“一人でいられない病”の正体

文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士
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「getty images」より

 コロナの感染拡大により登校できなくなり、これまでのように身近な仲間たちと会ってしゃべることがなくなり、孤独感に苛まれる子どもや若者が増えており、コロナ鬱などという言葉さえ生まれた。そこで、SNS等で人とつながるように推奨されることがあるが、それで孤独感はほんとうに癒されるだろうか。

つながっていないと不安という心理

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「ぼっち」という言葉が使われるようになったように、このところ1人でいられない心理が蔓延しているように思われる。かつては群れるのは弱い人間みたいでかっこ悪いといったイメージが広く共有されていたと思うが、今は逆に1人でいるのはかっこ悪いといった感じになっている。

 それにはSNSの登場が大きく絡んでいると思われる。学生たちをみても、SNSを通じて絶えずだれかとつながっている。

 たとえば、高校でも大学でも、入学前に合格者同士がSNSを通してつながり、入学式の日に最寄り駅で初対面の新入生同士が待ち合わせて、一緒に入学式に向かうことも珍しくなくなった。多くの新入生たちが最寄り駅で待ち合わせて一緒に入学式に向かうようになると、1人では肩身が狭い感じになり、入学式までにSNSで何としても友だちをつくろうと必死な人も出てくる。

 かつては入学式に行くときは、友だちがほとんどいなくて、知らない人たちの中にポツンとしている状況で孤独を感じ、緊張したものだった。だが、SNSによってそうしたひとりぼっちの状況を避けられる可能性が出てきたことで、そのような孤独が耐えがたいものになったようだ。

 絶えずだれかとつながっているのが当たり前になると、1人でいることに耐えられなくなる。だれかとつながっていないと不安になる。そうした心理について、つぎのように語る学生もいる。

「1人でいると、孤立してるんじゃないかって不安になるから、駅で集合して学校に行ったり、お昼も一緒に食べたり、集団から離れないようにいつも気をつけています」

「学校で1人でいると、友だちがいないんじゃないかって思われそうで、いつもだれかと一緒にいるようにしています」

 そんな友だちが周囲に多いことに違和感を覚える学生もいる。

「自分の周りに、つながっていないと不安な人があまりに多くて驚くことがあります。1人じゃパンも買いにいけない。友だちと一緒じゃないと授業にも出られない。たった15分程度の学校への道のりも1人じゃ歩けない。服とかアクセサリーの買い物も1人で行けない。そんな人がうじゃうじゃいるんです」

気が紛れる、でも何か物足りない

 仲間といると気が紛れ、さみしさや不安から逃れられるのは確かだろう。でも、だからといって、みんなと一緒にいるとき、心から快適で満足しているわけではないようだ。そうした心理について、ある学生は、つぎのように語る。

「みんなで盛り上がってしゃべっているときは、ほんとうに楽しいのかもしれません。でも、自分の中に、もう1人の自分がいて、こんなんじゃつまらない、私のほんとうにしゃべりたいことはこんなことじゃないっていう声が聞こえてくるんです。結局、ウケ狙いの言葉が飛び交うばかりで、ほんとに気になっていることが話せない。それがちょっとさみしいのかなって思います」

 みんなで盛り上がるのは楽しいのだが、どこか物足りなさがある。そんなことを言う学生が少なくない。

 学生に限らず、職場でもそのようなことがあるのではないか。毎日のように顔を合わせる同僚たちとしゃべっていると気が紛れるものの、それだけでは何か物足りない。帰宅後、1人になったときに、そんな思いに駆られることもあるのではないか。

 みんなといると気が紛れるものの、どこか無理をして合わせている自分がいる。それで気疲れしてしまい、みんなでいて楽しかったはずなのに、1人になるとドッと疲れが出たりする。

 つながっていないとさみしいし不安になる。でも、つながっていても何か物足りない。結局、いくらつながっていても孤独は癒されないばかりか、ますます1人でいられなくなる。そこで、「とりあえず、だれかとつながらないと」といった感じになるが、孤独を癒すようなつながりになっていかない。

そもそも社交はむなしいもの

 人とつながることに積極的な人は社交家と呼ばれる。人見知りで、人づきあいに気をつかいすぎて疲れる内向的な人からすれば、社交家は羨ましい存在に違いない。自分もあんなふうに気軽に人と接することができたらどんなにいいだろうと思うかもしれない。

 しかし、社交のためのパーティーが盛んに行われるアメリカにおいて、実存心理学者のロロ・メイは、現代人は自分が社交的に受け入れられるということにあまりにとらわれすぎており、自分はいつも他人から求められており、けっして孤立していないことを証明しようとするかのようにパーティーに参加するが、心の中ではひとりぼっちになることを極度に恐れているという。

 このことは、今の日本では、現実の社交のみならず、SNSによくあてはまることと言ってよいだろう。1人になる恐怖を打ち消すべく、とにかくSNSでだれかとつながっていたい。アメリカのようにパーティーの文化がない代わりに、今の日本にはSNSの文化がある。1人でいられない人にとって、SNSは恰好の逃げ場を与えてくれる。

 このようにみてくると、社交的でだれとでも気軽に話せる人も、SNSで多くの人とつながっている人も、けっして孤独と無縁ではないことがわかるだろう。傍から見れば、いつもみんなの話の輪の中心にいて、いかにも楽しそうに振る舞っている人も、心の中のさみしさを振り払おうと必死になってつながりを維持しようとしているのかもしれない。SNSで多くの友だちとしょっちゅうやり取りしている人も、同じく孤独から逃れようと必死なのかもしれない。

 仲間と群れて盛り上がっても、何か物足りなさがあるのも、そうした社交の試み自体が、そもそもむなしさの上に成り立っているからなのである。現実の社交でも、そこで話されている内容にとくに意味があるというよりも、ただ何かが話されているということでホッとしている。SNSでも、ただやりとりしていること自体でホッとしている。

 ある社交的な女性が、相談に来たことがある。自分は社交的なほうだし、だれとでもすぐに打ち解けて話せるため、友だちはたくさんいるのだけど、どれも楽しいばかりの表面的な浅いつながりで、個人的な深いつながりができないことを悩んでいるというのだ。

「いろいろ振り返ってみると、どうも私は、場を盛り上げるためのコンパ要員のような位置づけになっているみたいなんです。だからみんなで集まるときは声がかかるけど、個人的につき合う相手とみなしてもらえていないんです。それが何だかさみしくて、結局、冗談を言って盛り上がる相手にはなっても、内面的なことを共有する相手じゃないってことですよね」

 これではつながっているからといっても孤独から救われることはできない。コロナによって日常的なつながりを奪われたこの機会に、日頃の人間関係のあり方をじっくり振り返り、より実りのある関係構築の方向性を模索してみるのもよいだろう。

(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)

榎本博明/心理学博士、MP人間科学研究所代表

榎本博明/心理学博士、MP人間科学研究所代表

心理学博士。1955年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。川村短期大学講師、カリフォルニア大学客員教授、大阪大学大学院助教授等を経て、MP人間科学研究所代表。心理学をベースにした執筆、企業研修・教育講演等を行う。著書に『「やりたい仕事」病』『薄っぺらいのに自信満々な人』『かかわると面倒くさい人』『伸びる子どもは○○がすごい』『読書をする子は○○がすごい』『勉強できる子は○○がすごい』(以上、日経プレミアシリーズ)、『モチベーションの新法則』『仕事で使える心理学』『心を強くするストレスマネジメント』(以上、日経文庫)、『他人を引きずりおろすのに必死な人』(SB新書)、『「上から目線」の構造<完全版>』(日経ビジネス人文庫)、『「おもてなし」という残酷社会』『思考停止という病理』(平凡社新書)など多数。
MP人間科学研究所 E-mail:mphuman@ae.auone-net.jp

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