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舘内端「クルマの危機と未来」

「エンジン技術屋集団」ホンダがエンジン車全廃宣言…設備も人もすべて切り替え、必ずやりきる

文=舘内端/自動車評論家
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本田技術研究所本社(「Wikipedia」より/ウェルワィ)

挑戦の再開

 ホンダは、チャレンジを繰り返して成長したメーカーである。かつてもそうだったが、現在のホンダもまだその精神を忘れてはいない。いや、正確に言えば十数年もかかって、ようやくチャレンジ精神を取り戻したというべきかもしれない。

 チャレンジとは成功することを約束されていない行動をいうのだが、ホンダの場合はまったく成功するとは考えられないチャレンジを平気でやる。しかも、(伊東社長時代の世界拡大戦略など、失敗も多々あったが)成功させてしまうのである。

 ホンダの凄さは、無理やり挑戦して、強引に成功させてしまうところだ。これほどハラハラドキドキさせて、しかも「ほらできた!」と驚かせ、喜ばせてくれる自動車メーカーは、ホンダをおいてない。だから一度ファンになると、離れられない。

 そのホンダが久しぶりにチャレンジを表明した。「2040年までに新車の販売をEV(電気自動車)とFCEV(燃料電池車)にし、走行時に二酸化炭素を出すガソリンエンジンで動く車の販売をやめる」(三部敏宏ホンダ社長)と宣言したのである。脱エンジン車宣言である。

 しかも、日本では自動車の二酸化炭素削減の切り札であるHEV(ハイブリッド車)の生産、販売もやめるというのだ。これは相当覚悟のいる挑戦である。

F1、撤退

 やるからにはエンジンへの執着を社長自ら切って見せなければならないと、まずは八郷隆弘前社長がホンダの大看板であるF1挑戦を「21年限りでやめる」と宣言した。F1撤退は「脱エンジン車宣言」の前振りだった。そこまでは八郷前社長が泥をかぶり、「オレは辞任するからF1の撤退を受け入れてくれ」と、F1のスタッフや歴代社長に頼み、「あとは三部さん、任せるぞ」ということではなかったか。おそらく、自分の首を差し出してのF1撤退の説得だったのだろう。

 F1あってこそのホンダであり、ホンダあってこそのF1とはいわないとしても、1964年からのF1挑戦は、日本ばかりかヨーロッパの人たちにとっても記憶に残る偉業である。F1から撤退するというのは、ホンダが社の歴史を、本田宗一郎が築きあげたホンダの歴史を書き換えるような、何か重大なことを決意していることを伺わせるうえで、十分な宣言であった。

 そして、間髪を入れず三部新社長による「脱エンジン車」宣言である。覚悟のほどが伺える、なんとも清々しい宣言だ。

 エンジンに後ろ髪を引かれて、吸気、排気バルブの開閉タイミングを変えたり、石油に代わる燃料を使ったり、手を変え品を変えて新技術を繰り出し、エンジンを延命しているようでは、この難局は越えられない。今、自動車産業が迎えているのは、単なる変更でも、変革でもない。地球温暖化と気候変動を乗り越えて生きるか、越えられず死ぬか。ロシア革命やフランス革命と同じ「革命」なのだから。

舘内端/自動車評論家

舘内端/自動車評論家

1947年、群馬県に生まれ、日本大学理工学部卒業。東大宇宙航空研究所勤務の後、レーシングカーの設計に携わる。
現在は、テクノロジーと文化の両面から車を論じることができる自動車評論家として活躍。「ビジネスジャーナル(web)」等、連載多数。
94年に市民団体の日本EVクラブを設立。エコカーの普及を図る。その活動に対して、98年に環境大臣から表彰を受ける。
2009年にミラEV(日本EVクラブ製作)で東京〜大阪555.6kmを途中無充電で走行。電気自動車1充電航続距離世界最長記録を達成した(ギネス世界記録認定)。
10年5月、ミラEVにて1充電航続距離1003.184kmを走行(テストコース)、世界記録を更新した(ギネス世界記録認定)。
EVに25年関わった経験を持つ唯一人の自動車評論家。著書は、「トヨタの危機」宝島社、「すべての自動車人へ」双葉社、「800馬力のエコロジー」ソニー・マガジンズ など。
23年度から山形の「電動モビリティシステム専門職大学」(新設予定)の准教授として就任予定。
日本EVクラブ

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