
土佐藩の地下浪人の出で、“身分が低い田舎モン”だった岩崎弥太郎
NHK大河ドラマ『青天を衝け』に、ついに三菱財閥の創業者・岩﨑彌太郎(1835〜1885年/以下、岩崎弥太郎と表記)が登場する。演者は8代目・中村芝翫(しかん)だそうだ。
そこで、弥太郎ってどんな人だったのか、再確認しておこう。
岩崎弥太郎は天保5年12月11日生まれ。天保5年は西暦に換算するとおおむね1834年なのだが、弥太郎は12月生まれなので、西暦では翌1835年1月9日にあたるそうだ。弥太郎は渋沢栄一(演:吉沢亮)の5歳年上なのだが、演者の中村―吉沢は29歳差。実際は弥太郎のほうがちょっと先輩だっただけなのだが、『青天を衝け』では親子ほど貫禄の違う人物に描かれるのだろうか。
話はそれたが、弥太郎は土佐国安芸(あき)郡井ノ口村(現在の高知県安芸市)に地下浪人(じげろうにん)岩崎弥次郎の長男として生まれた。
阪神タイガースがキャンプをはる、あの安芸市である。高知市から35kmも離れており、東京でいえば、だいたい新宿―八王子間に相当する距離である。ネットで調べると徒歩で8時間かかるそうだ。江戸時代の人間が倍の早さで歩いたとしても4時間かかる。2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』では、高知市内にやってきた弥太郎(演:香川照之)が、坂本龍馬(演:福山雅治)に遭遇する場面がよく見られたが、そう滅多やたらには高知市内にまでは出向かなかったのではなかろうか。
まあ要するに、土佐藩士からすると、弥太郎は田舎モンだったのだ。しかも身分が低かった。
土佐藩には上士(じょうし)、下士(かし)という厳しい身分制度があり、岩崎家は下士の最上位に属する郷士だった。しかも、弥太郎の祖父・弥三郎が郷士株(=郷士の権利)を売り払ってしまい、武士身分を失った「地下浪人」となった。弥太郎の不撓不屈(ふとうふくつ)の闘志は、身分の低さから来る差別的な待遇に反発して生まれたのだという。
勉学優秀なる岩崎弥太郎、江戸に遊学し、昌平黌教授の私塾に学ぶ
しかし、弥太郎を成功に導いたものは闘志だけではなかった。
弥太郎は、そのイカツイ風貌から、ハッタリと強気一辺倒の性格であの三菱財閥を創り上げていったのだと思われがちだが、当時の土佐では3本の指に入る秀才だった。藩主から褒賞されたことを契機に、江戸に遊学し、昌平黌(しょうへいこう)教授・安積艮斎(あさか・ごんさい)の私塾に学んだ。今でいえば、東京大学名誉教授主催の勉強会に参加するようなもので、それだけ優秀だったということだ。
ところが、父・弥次郎が庄屋とケンカして重度の打撲傷を負い、弥太郎は帰郷を余儀なくされる。さらに父が訴訟に負けたため、弥太郎は憤懣のあまり、役所の壁に役人を侮蔑する落書きをして、獄に繋がれてしまう。
一説によれば、弥太郎は、同房の囚人から算盤・算術を教えてもらい、その後の人生で大きく成功するきっかけとなった(後日、この囚人の遺族に多額の金品を贈呈した)という。