いよいよ、北京2022オリンピック競技大会が始まりました。僕は開会式の時間には、ちょうどコンサートホールでオーケストラを指揮していたので、自宅に帰ってから録画してあった映像を見たのですが、正直、感心してしまいました。
今回の開会式の演出を担当したのは、2008年に行われた夏の北京オリンピックにて、ランナーをワイヤーで空中にぶら下げ、会場を走らせるという演出で世界の度肝を抜いた、映画監督のチャン・イーモウ氏です。しかし、前回の夏のオリンピック開会式の動的な演出とは違い、今回は青色を基調として、冬が持つ静かな透明感を視覚化させたことに驚きました。
透明という色は、実際には存在しません。それを視覚化させるために、高度なプロジェクションマッピング技術やレーザー光線などの最先端技術を屈指し、それだけでなく音楽をうまく利用していたと思います。
最初から最後まで、スピーチや宣誓の言葉の時以外は、ずっと音楽が流れていましたが、これまでのオリンピック開会式で多用されてきた、有名な人気歌手の登場などをあえて避け、子供の合唱を使ったことも、緻密に計算された演出でしょう。
有名な歌手の顔を見てしまうと、歌手の個性色ばかりが目立ち、結果的に透明感はなくなってしまいます。そこで、誰も知るはずのない子供たちを登場させて、子供の声が持つ特別な透明感をうまく使ったのでしょう。ほかにも、トランペットを見事に演奏した子供のことも話題になっているようですが、子供らしく純粋で無垢な感じが、冬の透明感を増していました。
そんななか、指揮者として僕がもっとも興味をそそられたのは、選手入場の音楽でした。これから勝負を挑むスポーツ選手たちの入場行進に冬の透明感は必要ないので、あえてクラシック音楽の超有名曲のみを選んで、多くの国々の個性豊かな選手たちの入場を彩りました。ドイツ・ベートーヴェンの『運命』、イギリス・エルガーの『威風堂々』、フランス・ビゼー『カルメン』、ロシア・グリンカ『ルスランとリュドミラ序曲』と、僕も何度も指揮をしているおなじみの曲ばかりです、
しかし、入場している選手団の国にまったく関係ない曲がどんどん流れていたのは仕方がないでしょう。いろいろな国から選手団が登場するわけで、いちいち合わせていてはキリがないので、「世界の名曲メドレー」として流したのかもしれません。ちなみに、日本選手団の入場の際には、ロシア・チャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』が流れていました。
それでも、奇跡的に国と曲と一致した選手団がありました。それは、ハンガリー選手団の入場の際に、ブラームスが作曲した『ハンガリー舞曲第5番』が流れ出したのです。これも、オーケストラにとっては目をつぶっていても弾けるくらい演奏回数が多い名曲ですが、名前の通りハンガリーの舞曲の音楽です。
実は、これは本当のハンガリーの音楽ではなく、ドイツ人のブラームスが“ハンガリー風”に書いた曲ですが、今ではハンガリーのオーケストラの日本公演にてアンコールで演奏するほど、ハンガリーの曲として認知されています。日本選手団がロシア音楽、アメリカ選手団がイギリス音楽で入場するなか、ハンガリーだけはドンピシャで、その後、ハンガリー舞曲はフィンランド選手団の入場まで続きました。
ところが、これもまたドンピシャだったのです。というのは、ハンガリーとフィンランドは同じルーツを持った民族だからです。もともと、ハンガリー人はウラル山脈の西側に住んでいたウゴル語族のマジャール人で、中央アジアの蛮族であるフン族に追われてハンガリーに行き着いた民族です。一方のフィンランド人もルーツはウゴル語族で、同じ言語グループなのです。
もちろん、この遠く離れた両国の人々同士が、現在、お互いの言語で話してもまったく通じませんが、今もなお文法の共通点は存在するそうです。何よりも、両国ともに他のヨーロッパの国々とはまったく違う言語です。国名のハンガリーの「ハン」と、フィンランドの「フィン」は音も似ていますし、もともとは同じ意味だという説もあるそうです。
『イマジン』や『第九』、音楽を使って中国をアピール
さて、そんな偶然も重なった選手入場、そして開会宣言ののちに流れたのは、なんとジョン・レノン作曲、オノ・ヨーコ作詞の『イマジン』であることも話題になっています。
「国家や宗教や所有欲によって起こる対立は無意味なものであり、この曲のユートピア世界を思い描けば世界は変わる」というオノ・ヨーコの詩は、人類愛や平和の歌として、今もなお世界中の多くの人に愛されています。一方で、共産主義的だという批判も存在し、湾岸戦争の際にはイギリスBBC(英国公共放送)が放送を規制したこともある、いわく付きの曲です。
しかし、今回はそんなことは関係なく、平和のメッセージとしてオリンピック精神を表現するために効果抜群でした。
そして開会式もクライマックスを迎え、オリンピック旗が入場する時に流れたのは、ベートーヴェンの『第九』、すなわち「歓喜の歌」です。僕は感心してしまいました。歌詞は「これまで隔ててきたものを再び結び合わせ、すべての人々が仲間になる」という、オリンピック精神にぴったりの内容です。1998年の長野オリンピックの開会式の際にも、世界的指揮者・小澤征爾氏の指揮により生演奏された曲で、『第九』とオリンピックはそのポリシーが同じなので、相性が良いのだと思います。
それに続くオリンピック旗掲揚の際には子供の合唱団が再登場し、オリンピック発祥のギリシャ語でオリンピック賛歌を斉唱。冬の透明感に徐々に戻していくのも、時間を計算した映画監督のイーモウ氏ならではの見事な演出でしょう。
今回の開会式は、中国自体をあまり押し出さずに、むしろ音楽を使って中国をアピールするような内容だと思いました。
最後の聖火も、参加国の名前が入った雪の結晶にトーチをそのままはめ込むという、これまでのオリンピックには無かった発想です。実況していたNHKアナウンサーが、「冷たさの中に熱いものを感じる」と、その強い印象を的確に話していたことにも感心しました。最初から最後まで光と音楽を計算し尽くし、観客を飽きさせることなく、あっという間に見せた素晴らしい開会式でした。
(文=篠崎靖男/指揮者)