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スキージャンプを“つまらなくした”2つの改悪ルール…ドラマを生んだ「風の運」

文=織田淳太郎/ノンフィクション作家
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北京五輪での高梨沙羅選手(「gettyimages」より)
北京五輪での高梨沙羅選手(「gettyimages」より)

 小林陵侑が金メダルを獲得したジャンプ男子個人ノーマルヒルでは特に感じなかったが、同女子個人ノーマルヒルでは、個人的にどこか「しらけムード」が残った。

 優勝候補の高梨沙羅がメダルを逃したからではない。不公平な風が吹いたための度重なる進行の中断。それによって、観戦する側である私の集中力も途切れがちになり、盛り上がりに欠けた大会という印象を胸に残したからである。

ポイント加点と減点の仕組み

「ゲートファクター(スタート地点の要素)」が「ウインドファクター(風の要素)」とともにスキーのジャンプ競技に取り入れられたのは、2009年の夏。五輪では2014年のソチ大会から導入されるようになったが、私は不公正を是正するためのさまざまな規制やルール変更の中でも、この二つのルールがジャンプ競技からドラマ性や意外性を削ぎ落とした“主犯格”のような気がしてならない。

 ジャンプ競技では、向かい風を受けた選手は浮力を得ることで飛距離を伸ばせるという利点がある。逆に、追い風では浮力を得ることができず、飛距離につながりにくい。

「ウインドファクター」はその不公正を是正するためのルールで、向かい風で減点、追い風で加点する。ジャンプ台ごとにその数字の加減が異なり、たとえば前回・平昌大会のノーマルヒルでは追い風1メートルで加点9.68。向かい風1メートルで減点8.00と設定された。

 また、ゲートはより高い方がアプローチのスピードが増し、したがって飛距離も出やすい。逆に、より低いゲートではスピードが落ち、当然ながら飛距離を出すのも困難になる。大会では、審判員が飛びすぎの危険を認めた場合、途中からゲートを下げることができるが、下げた後に飛ぶ選手は不利な状況に置かれる。

 この不公正を是正するために設けられたのが「ゲートファクター」で、ゲートが高ければ減点、低ければ加点する。ゲートは選手側の要請で下げることもでき、今では加点のための戦略に使われるようにもなった。

 だが、自然相手の、しかも「風」という予想のつかない融通無碍な自然現象に対して、こうした恣意的なポイント操作が果たしてどこまで有効なのか。何よりも、スポーツをより感動的なものにする意外性に富んだ局面を、どこまで生むことができるのか。

 1996年夏の甲子園大会決勝の「奇跡のバックホーム」(松山商業、矢野勝嗣右翼手)が、突如吹き荒れた強い追い風なしに誕生しなかったように、ときに自然現象は思いも寄らない感動的な結末や新たなヒーローを生み出すこともあるのだ。

「日の丸飛行隊の大失速」と「無名ジャンパーまさかの金」

 五輪のジャンプ競技で、私には忘れられないシーンがある。

 1972年2月11日、札幌の大倉シャンツェで行われた札幌五輪の90メートル級ジャンプ。競技が始まる前から会場は異様な熱気に包まれ、至るところで日の丸が大きく揺らめいていた。駆けつけた観客のほとんどの関心の的は、70メートル級で金銀銅を独占した日の丸飛行隊。中でも日本のジャンプに初の金メダルをもたらした笠谷幸生が90メートル級も制覇するかに大きな期待が寄せられ、当時中学3年生だった私も、観客の一人としてジャンプ会場の一角にいた。

 度肝を抜かれるようなシーンに遭遇したのは、開始早々のことだった。まったくノーマークだった外国のジャンパーが、向かい風に完全に乗ったまま、K点を大きく超えると、ほとんど平地になりかけているランディングバーンに辛うじて着地したのだ。

 111メートル。当時の大倉山ジャンプ台は、100メートルに達すると大ジャンプと呼ばれていた。111メートルの最長不倒距離など誰も見たことがなく、会場にざわめきが走った。

 ポーランドのヴォイチェフ・フォルトナ。実績もなければ名も知れない、弱冠19歳のジャンパーによる驚愕の大飛行だった。

 しかし、金メダル候補の笠谷も向かい風をうまくとらえて、1本目に106メートルをマーク。同じ106メートルを飛んだ東ドイツのウォルフに飛型点で優り、フォルトナに次ぐ2位で2本目に臨んだ。

 この時点で、エース笠谷の70メートル級に続く90メートル級の制覇を疑ったファンは、ほとんどいなかったに違いない。一方は向かい風に助けられ、「まぐれの」大ジャンプをした無名ジャンパー。一方は同年の欧州ジャンプ週間で開幕3連勝を果たすなど、名実ともに世界のトップに君臨していた笠谷である。

 案の定、笠谷より前に2本目を飛んだフォルトナは本来の“実力”を発揮し、87.5メートルにとどまった。この時点で、2本目の笠谷は95メートル程度のジャンプでフォルトナを逆転でき、金メダルも視野に入れることができた。

 が、好事魔多し。逆転の金メダルに臨んだ2本目、踏切のタイミングが遅れた笠谷は突風を横から受け、スキー板を大きく煽られた末、84.5メートル地点に急落下する。

 会場のざわめきも、今度は落胆のそれに変わった。

 結局、笠谷は7位に終わり、フォルトナが2位にわずか0.1ポイント差の金メダルを獲得する。

 こうしてフォルトナは、実績なき一人の無名ジャンパーから一躍世界のヒーローに躍り出たが、「ウインドファクター」を取り入れる現在の採点ではどうなっていたか。

 1位フォルトナと4位ケユヒケ(フィンランド)までのポイント差は0.78。向かい風1メートルで減点8.00という前述の平昌五輪の設定を当てはめれば、メダル圏外であったことだけは確かで、彼の名が後世に残ることもなかっただろう。

長野で刻まれた原田と船木の逆転ジャンプ

 では、「ウインドファクター」は、その導入のあるなしで、どんな結末を招くのか。

 たとえば、平昌五輪の個人男子ラージヒルでは、1回目3位のウェリンガー(ドイツ)は2回目に143.5メートルの最長不倒をマークしたものの、有利な向かい風で減点されたため、トップにわずか3.4点及ばず、逆転の金メダル獲得には至っていない(銀メダル)。

 一方、「ウインドファクター」も「ゲートファクター」もなかった長野大会(1998年)の男子ラージヒル団体。原田雅彦の1回目の失敗ジャンプを他の3人のジャンパーが補い、原田は2回目に向かい風で浮力を得ると、逆転優勝に望みをかける起死回生の大ジャンプを見せつけた。

 そして、最後に飛んだエース船木和喜がランディングした瞬間、会場に沸き起こった感動の嵐。逆転優勝を確信した観客は歓喜の一体感に酔いしれ、4人の日本人ジャンパーが雪上で抱き合って泣いた。

 果たして「ウインドファクター」のルールは、あの感動的なシーンをどこまで演出することができたのか。

 風は「神風」にもなるし、「暴風」にもなる。「運も実力のうち」と言われるが、その「運」の中にもスポーツのドラマ性や奥深さが潜んでいるのではないかと、私は思っている。

(文=織田淳太郎/ノンフィクション作家)

織田淳太郎/ノンフィクション作家

織田淳太郎/ノンフィクション作家

1957(昭和32)年北海道生まれ。ノンフィクション以外に小説の執筆も手掛ける。著書に『巨人軍に葬られた男たち』(新潮文庫)、『捕手論』『コーチ論』(光文社新書)、『ジャッジメント』(中央公論新社)など。

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