「大会が行われる場所はどこでも、アスリートが発言するときはいつでも、他の人を侮辱したり、他の人の権利を侵害したりしないことをすべてのアスリートに提案したい」
<“I would suggest to every athlete, wherever the Games are taking place, whenever an athlete is making a statement, he does not insult other people, that he is not violating the rights of other people.”>
北京冬季オリンピック開幕直前の3日、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は北京市内で、IOC総会後に開かれた記者会見でそう語った。一見、多様性に配慮した思慮ある発言にも見える。しかし、この回答は、中国政府による新疆ウイグル自治区西部でのウイグル族に対する人権問題に関し、選手が発言した際のIOCの見解を問うたものだった。侮辱とは“誰”に対する、“どのような言動”を指すものなのだろうか。
どうやら会見は、中国政府に対するIOCの姿勢を垣間見できるものだったようだ。
バッハ会長「俳優はハムレットの劇中に抗議活動をしない」
ウイグル問題に関する質問が出たことや、それに対するバッハ氏の回答を詳細に報じた日本国内のメディアは少ない。毎日新聞は4日付の朝刊2面に掲載した記事『検証 北京五輪 晴れぬ疑念』で、以下のように会見でのやり取りに触れている。
<「中国政府が問題視するような発言を選手がした場合、身に危険が及ぶ可能性はないのか」。北京市内で3日にあった国際オリンピック委員会(IOC)総会後の記者会見で、海外メディアから厳しい質問が飛んだ。トーマス・バッハ会長は「他者を侮辱する発言をすべきではないと選手に伝えたい。他者の権利を侵害しない上で自由に話してほしい。それは東京(五輪)でも北京でも変わらない」と回答。さらに「俳優はハムレットの劇中に抗議活動をしない。選手も組織が作ったルールを順守しないといけない」と述べた>
バッハ会長は、中国の元副首相に性的関係を強要されたと訴え、安否が気遣われていた中国のテニス選手、彭帥さんの問題に関しても記者に問われていた。バッハ会長は「私と会うためにバブルの中に入ってきてもらう。手続きができたらお会いしたい」などと語り、会談する意向を示したなどと、日本国内では主に報じられている。
しかし、このやり取りには続きがあったようだ。冒頭のバッハ会長の発言を報じた米ニューヨークタイムズ紙が4日に公開した記事『Thomas Bach won’t request an inquiry of Peng Shuai’s accusations unless she asks: ‘It’s her life.’』では、彭帥さんの問題についてのバッハ会長とのやり取りも詳細に報じている。
同記事によると、IOCが主体となって彭帥さんの問題に関して調査をするのかなどを問われたバッハ会長は「彼女が調査を望んでいるかどうかを確かめる。それは彼女の決定に違いない。それは彼女の人生です。それは彼女の主張です」と語り、あくまでIOCが組織としてこの問題に取り組むことを否定したようだ。また、一連の質疑の裏側について、次のように述べている。
<Peng’s status remains so sensitive in China that the interpreter handling the Chinese translation of the news conference did not mention her name when relaying the question.>
(彭帥さんの立場は中国で非常に敏感なままであるため、記者会見では中国語訳を扱う通訳が、質問を中継するときに彼女の名前に言及しなかった)
バッハ会長発言から透ける「五輪=ショービジネス」の本音
微妙な息苦しさを伴うバッハ会長の会見について、日本に駐在経験のある英国紙記者は次のように話す。
「日本以外の英国や米国の報道をみると、通常の五輪ではないような異質な会見だったのではないか思います。そもそも五輪を演劇に見立てるというところからして、バッハ会長が大会をショービジネスだと考えている本音が透けて見える気がします。
米政府は中国政府による新疆ウイグル自治区での人権問題に関し、強く非難しています。我が英国はもちろん、カナダ、オーストラリアは外交ボイコットをしていることは今さら言うまでもありません。こうした対応に中国政府は報復をほのめかしていて、ボイコットに連なる国の選手が、中国政府に対して批判的な言動を取った際、安全が確保されるのかどうかに強い関心が寄せられています。
一部報道では、選手に対して個人用のスマートフォンなどは自宅に置き、大会のみで使用する端末を使うように指示している国もあるようです。バッハ会長への記者の質問は、そうした中国政府の選手に対する言論監視に対する危惧が背景にあるのです。
五輪は政治的に中立であるべきだし、どこかの国が政治利用をするなどということが、あってはならないことです。一方で、会見でのバッハ氏の発言は、中国政府への過剰な配慮が透けて見えました。
他の商業スポーツ大会と違い、五輪は人権や平和、多様性を掲げています。だからこそ、五輪は大会が興行的に成功すれば良いというものではないのです。アスリートはもちろん、世界の人々の人権問題に関する真の中立性をIOCには持ってほしいと思います」