トヨタ自動車と日本製鉄の争いが波紋を広げている。日系自動車各社の2021年4~12月期業績は改善しているものの、通期業績見通しの下方修正が相次いだ。半導体をはじめとする部品不足を理由に自動車の減産や稼働停止が相次いでいることが主な理由だが、もう一つの大きな要因となったのが、鉄鋼やアルミニウムをはじめとする原材料価格が高騰していることがある。自動車メーカーの業績回復が鈍化する一方で、鋼材価格の大幅値上げに成功した鉄鋼メーカーの業績は好調に推移しており、自動車メーカーからは怨嗟の目が向けられている。
上場している日系自動車メーカーの21年4~12月期業績は、スバルを除いて増収・営業増益となった。前年同期が新型コロナウイルス感染拡大によるロックダウン(都市封鎖)などが実施された影響で自動車市場が急激に落ち込み、自動車メーカーの業績も悪化した。今期はその反動で回復している。しかし、22年1~3月期は減収減益となる見通しだ。
自動車メーカー各社は、半導体の需給ひっ迫が緩和してきた昨年秋ごろから、前半に減産した分を取り戻すための挽回生産を計画していた。しかし、その後も半導体調達は不安定なままで、今年に入ってからも生産計画の下方修正を余儀なくされ、これが業績の足を引っ張っている。さらに業績を不安定にしているのが原材料価格の高騰で、とくに鋼材価格の上昇が自動車メーカーの収益を圧迫している。
今期、資材費の高騰で通期で6300億円の減益影響を見込んでいるトヨタの1~3月期の営業利益は、前年同期と比べて2割減となる見通しだ。ホンダの1~3月期の営業利益は前年同期と比べて4割減を予想する。日産自動車は前年同期が赤字で、今1~3月期は黒字化の見通しだが、営業利益率は0.7%と低い水準。
トヨタを中心に自動車大手はこれまで「原価低減活動」を名目に取引先サプライヤーや材料メーカーに値下げを強要し、主要顧客である立場を利用して買いたたくことで収益をあげてきた。それが通用しなくなっている。
日本製鉄、「ヒモ付き」に反抗
大きなきっかけとなったのが日本製鉄の橋本英二社長による対トヨタへの徹底抗戦だ。日鉄の橋本社長は、以前から「ヒモ付き」と呼ばれる自動車メーカーなどの大口顧客向け事業のあり方を疑問視していた。ヒモ付きは、大まかな発注量をベースに納入先と価格交渉する。海外では自動車メーカーと鋼材メーカーとの価格交渉は通常、年1回だが、日本の場合、半年ごとの年2回交渉が慣例化している。自動車メーカーが自社の業績の状況などを勘案して、取引先に対して原価低減を求めやすくするためだ。しかも鋼材の場合、価格交渉が合意できずに長期化しても鋼材の納入は継続し、合意後に遡って価格を適用するという商習慣が続けられてきた。
橋本社長は「価格を決めてから販売するのが商売の基本」との立場を鮮明にしており、価格交渉についても年1回とすることをトヨタに求めてきた。そこには鉄鋼メーカーの地盤沈下に対する危機感がある。かつてトヨタと日鉄の鋼材価格の交渉は「チャンピオン交渉」と呼ばれ、両社が合意した価格が業界の基準となっていた。しかし、インドや中国の鉄鋼メーカーの台頭で日鉄の地位が低下するなか、トヨタの規模が拡大して購買力が増し「チャンピオン交渉どころか、トヨタ側の言い値を受け入れるしかない状況」が続いた。これによって「水より安い価格」を強いられた日鉄の業績は下降曲線をたどり、一方のトヨタは好業績を続けることになる。
日鉄としてこの状況を打開するチャンスとなったのが、昨年春以来のグローバルでの原材料価格の上昇だ。トヨタをはじめとする自動車メーカーは、鉄鋼メーカーとの価格交渉で、韓国のポスコや中国の安い鋼材を競わせることで値下げを迫ってきた。しかし、鋼板の原材料価格が高騰して韓国などの鉄鋼メーカーが大幅な値上げに踏み切った。日鉄はこのタイミングを捉え、21年10月~22年3月の下期分のトヨタとの価格交渉で強気の交渉の展開に踏み切った。トヨタは価格の大幅引き上げに難色を示していたものの、日鉄が提示した価格で購入しないなら供給をストップする姿勢も示したことで、トヨタは1トン当たり2万円の大幅な値上げを呑まざるを得なかった。
20年3月期に過去最大となる4315億円の当期赤字を計上し、21年3月期も324億円の赤字となった日鉄としては、業績不振の原因は、鋼材を買い叩くトヨタに原因があると見ていた。しかも企業は地球温暖化対策として脱炭素を強く求められており、製造業で最大の二酸化炭素排出業種である鉄鋼メーカーは、水素製鉄など巨額の設備投資を迫られる。これに対応しなければ企業として淘汰されるのは確実で、日鉄としては業績を早く改善して、脱炭素に向けた投資資金を確保する必要に迫られている。それだけに日鉄としてトヨタとの価格交渉は絶対に後に引けない状況だった。
第2ラウンド
結果的に第1ラウンドを制した日鉄の橋本社長は、対トヨタの二の矢を放つ。日鉄にとって「虎の子」の技術である電磁鋼板の特許侵害をめぐって、トヨタと中国の鉄鋼大手である宝山鋼鉄を提訴したのだ。電磁鋼板は電気自動車(EV)などの電動車両のモーターに必要不可欠な材料。脱炭素社会の実現に向けて、世界的にEVの普及が見込まれるなか、電磁鋼板の需要は急拡大する。日鉄は世界的に電磁鋼板技術でライバルに先行しており、今後の成長をけん引する製品と位置付けている。
しかし、トヨタがコストの安い宝山鋼鉄の電磁鋼板を採用していることが日鉄の橋本社長の逆鱗に触れた。宝山鋼鉄の電磁鋼板のコストが安いのは、日鉄の特許を侵害していると見ているためだ。日鉄はトヨタと宝山鋼鉄に対して、それぞれ200億円の損害賠償を求めて提訴するとともに、トヨタに対しては宝山鋼鉄の電磁鋼板を使用したモーターを搭載した電動車の製造・販売禁止を求めている。
提訴されたトヨタは、日鉄からの特許侵害の指摘を受けて宝山鋼鉄に確認したところ「特許侵害の問題はないとの見解を得た」として、日鉄と争う姿勢を示している。日鉄の提訴後、トヨタが宝山鋼鉄の電磁鋼板を使い続けているのかは不明だが、少なくとも電磁鋼板の価格は大幅に上昇しているという。
EV向けのモーターなどを手がける日本電産の21年10~12月期の車載事業の営業利益は、前年同期比68%減の25億円と大幅減益となったが、その理由となったのが電磁鋼板の価格高騰だ。ある自動車メーカーの首脳は「日鉄がトヨタを提訴したことで、リスクを考慮して宝山鋼鉄をはじめとする中国や韓国の鉄鋼メーカーの電磁鋼板を採用しづらくなった面はある」と解説する。
立場が逆転した鉄鋼業界と自動車業界
日鉄とトヨタの争いの収束には時間がかかりそうだ。電磁鋼板の特許紛争が表面化してから、トヨタは懇意にしているマスコミ関係者との懇談会を開催、広報部門の責任者が豊田章男社長の言葉として「トップ同士、こういうことをやりますよと言ってもらえなかったのは非常に残念と述べている」と紹介し、提訴する前に日鉄の橋本社長が直接コミュニケーションをとってくれなかったとして批判した。
しかし、豊田社長はコメントとは矛盾する行動をとっている。今年1月5日、都内のホテルで開かれた経済3団体の2022年新年祝賀会で、トヨタの豊田社長と日鉄の橋本社長はともに出席した模様。日本を代表する企業のトップは祝賀会後、マスコミのインタビューを受けるのが恒例となっている。しかし、豊田社長は橋本社長と顔を合わせるのを避けるためなのか、祝賀会終了後、マスコミの目を避けて会場を去ったといわれている。
日鉄の橋本社長のしたたかな戦略が功を奏したのか、鉄鋼メーカーの業績は急回復している。日鉄の21年4~12月期の連結事業損益は前年同期の331億円の赤字から今期は7438億円の黒字に転換し、新日本製鉄と住友金属工業が経営統合してから過去最高水準となっている。生産能力の削減による固定費の削減に加え、鋼材価格の値上げでマージンが大幅に改善したのが主因だ。JFEホールディングス、神戸製鋼所も主力の鉄鋼事業が好調で、22年3月期の通期業績予想を上方修正した。ともに自動車向けを中心とする鋼材納入価格の値上げの効果だ。
鉄鋼メーカーの好業績を前に、業績が悪化している自動車メーカーは「半導体不足で自動車を造りたくても造れないこの時期に、わざわざ大幅な値上げを要求しなくても」と嘆く。さらにトヨタ以外の自動車メーカーは「トヨタが鉄鋼メーカーに無理な値下げを強要して収益をあげ続けてきたツケがまわってきた」と、トヨタに対して冷めた視線を送る。立場が逆転した感もある鉄鋼業界と自動車業界。昔のように、互いに尊重し合い、助け合える関係に修復するのは困難なようだ。
(文=桜井遼/ジャーナリスト)