その株主総会からわずか半月後の7月11日、岩田氏は胆管腫瘍で亡くなった。55歳だった。
岩田氏にとって、最後の株主総会は厳しいものだった。取締役10人を選任する2号議案で岩田氏の社長再任案への賛成率は83.45%。昨年の80.64%は上回ったが、目安ラインとされる90%に届かなかった。他の取締役のそれは、いずれも90%を上回った。任天堂の15年3月期のROE(自己資本利益率)は3.7%で昨年のマイナス2.0%より改善したが、機関投資家が厳しい判定を下したことから、岩田氏再任案への賛成率は大きく上がらなかった。
07年11月1日、任天堂の株価は上場来の最高値、7万3200円をつけた。株主時価総額は10兆3700億円と、トヨタ自動車(当時23兆円)、三菱UFJフィナンシャル・グループ(同12兆円)に次ぐ3番目の水準。当時は投資家から最高の評価を得た岩田氏だが、最近ではその支持を取り付けるのに苦慮していた。
任天堂の最大の謎
創業家出身で元社長の故・山内溥氏が、花札、トランプをつくっていた任天堂を世界屈指の家庭用ゲーム会社に育て上げた。山内氏は「日経ビジネス」(日経BP社/07年12月17日号)のインタビューで、こう語っている。
「必需品を作っているハードの会社と(娯楽分野の)ソフトの会社というのは、体質が全然違うんですね。言い換えると、ハードで成功した経営者がソフトをやれるのかというと、とてもそうはいかないというのが僕の考えです。いったい何を基準にして任天堂に必要な人を選ぶのかといえば、果たしてその人が『ソフト体質』を持っているか否か。実際に接してみると、この人はハードの人、この人は体質的にソフトに順応できる人というのが分かってくるんですね。(中略)ハード体質の経営者がもしいたとしたら、辞めてくれと言います。そうしないと任天堂という企業はつぶれるんですよ」
山内氏の後継者と目されていたのが、娘婿の荒川實氏だった。荒川氏は京都大学から米マサチューセッツ工科大学を出た丸紅の商社マン。任天堂の米国進出に初期の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」時代から関わり、家庭用ゲーム機を米国に普及させた功労者だ。イチローが活躍することになるシアトル・マリナーズを任天堂が買収した時、中心になって動いたのが荒川氏だった。